2016年6月20日 (月)

初めての休講

5月末から毎週、教育実習訪問指導に行っています。
今年は10人で9校なので、調整は相当に難航しましたが、研究日だけでなく、会議日や授業日の空き時間も使うことで、なんとかすべてを訪問する日程を組みました。
最初は週1~2校で済みましたが、先週は月~水に3校訪問し(うち2校は訪問後に大学に戻り)、木金授業で土曜は学会。
そして今週は、月曜授業から、そのまま2泊の出張に出かけ(遠方のため前泊の必要な2校に2日連続)、木金授業で(あと団体交渉もあったかな)、まったく休めないまま土日は東京で学会というスケジュール。
さらに来週からはリレー講義で自分の担当(11週目~最終週)が回ってくるため1コマ増で8コマ。新カリ科目の準備が自転車操業であることに加え、このリレー講義も専攻カリキュラムに生じた偏向をせめて私の担当科目内で少しでも是正すべく今年から専門外のネタを仕込むため、準備に追われています。
さすがにどこかに休みを入れないと、このままでは早晩行き詰まるだろうな、と思っていました。

とはいえ、そんな儚い願いは実現できるあてもない揮発性の妄想としてすぐに忘れ去り、なんとか帳尻を合わせつつ日々を過ごすことになるのが常です。しかし今回は、きわめて例外的かつ不本意な形で、それが叶うことになりました。
詳しくは書けませんが、昨日からしばらく休養を取らざるを得ないような身体的な状態に陥ってしまい、木曜に復帰できることを目指します。
昨日は日曜のため、救急病院に行ってきましたが当番医が専門外だったので応急処置にとどまり、今日、改めて検査。そのため、今日、初めて授業を休講にしました。

2002年に非常勤講師として初めて大学の教壇に立ち、その年に1回休講をしましたが、自己都合による休講はそれ以来ですね。
といっても、最初の非常勤先での休講は、まだ大学が牧歌的だった時代の名残で、特に理由もなく休講するという文化が残っていた時期なので、病欠ではありません。
それを除いては、授業に穴を空けたのは、大学教員生活15年目にして今日が初めてでした。授業以外の業務ならば、何度か病欠その他がありましたが、授業だけは絶対に休まぬようにしていたのに、残念。できれば、これを最後にしたいものです。

| | コメント (0)

2016年5月22日 (日)

6年目

今の大学に来て6年目となります。

某学会事務局業務は無事に新事務局に引き継ぎました。
私が引き受けた時は、前事務局業務に関わった人にも手伝ってもらったので、それなりに対応できたのですが、今度の引き継ぎでは地理的に離れていることもあり、そうはいきません。なので、今まで口伝や慣例でやっていたことも含め、しっかりとマニュアル化してから引き継ぎました。
とはいえ、実際には連日メールや電話で新事務局と対応しており、まだまだのんびりできません。
私が事務局を引き受ける前には、事務局業務の負担を分散し、院生が少ない(いない)環境でも事務局を引き受けられる体制づくりが必要と考え、複数大学事務局分担案を出したりもしましたが、実際にやってみて、そんなのはただの理想論だということを思い知りました。
すでに小委員会を設けて、そちらで進めている業務については分担も可能ですが、それ以外の仕事は、窓口となる事務局で一元化しないと、かえって大変です。やはり、院生に協力を(ほぼ)頼めない環境で事務局を引き受けたら、その期間は研究・教育や種々の校務、そしてプライベートを相当犠牲にして滅私奉公のつもりで臨まないと、絶対に事務局は運営できないということがイヤというほどわかりました。
どのくらい大変だったかというと、それなりの手当てが出る某校務を時給換算し、それを事務局業務に当てはめたら、2年数ヶ月(引き継ぎ前後も含む)で国立大学の准教授クラスの年収を確実に超えるくらいは働いたと思います。それを、本務校の仕事とは別に、無償でやっていたわけですからね。いやもう本当に大変でした。
一度事務局を引き受けてしまうと、またいずれ狙われる可能性が高くなりますが(他学会も含め)、もう二度とやりません。

さて、それはそうと、今年のゼミですが、7期生(新3回生)は13人です。
6期生は昨年度は14人でしたが、他ゼミから1人移動して来たのと、留年2人を加え、17人。教職志望は2人脱落したけれど、それでも10人。専攻内最多です(おそらく学部内でも)。
なるべく全員の教育実習訪問指導に行こうと思っていますが、行ける日が週に1日か2日しかないので、調整に難航しています。旅費以外の手当ては出ない業務で、義務でもないのですが、ゼミ生が教壇に立つ姿を見るのが楽しみなので、行ける限りは行くようにしています。

今年の授業は、前期は7コマ+リレー講義。
新カリキュラム1年目のうちに来年度以降の担当変更を予想し、かつ、政治的な理由で他部署に取られていたコマを取り戻すため、1コマ増担となってでも私が担当したかった講義を押さえたため、このようになりました。
増担分は、来年度には新カリ切り替えで1コマ消えるため、担当コマ数は元に戻りますが、うちの専攻が本来管理していたコマをすべて取り戻すためには、また別の手段を講じます。

ところで、学会事務局業務の負担過重のため昨年度は外してもらっていた某校務、今年は復帰します。
この校務もかなり負担が大きいのですが、待遇改善のため、かなりタフな交渉をしてきた成果もあって、ようやく改善に向けての動きが出てきました。しかし、抜本的な改善にはまだ遠く、教員ひとりひとりが問題を自覚しないことにはどうにもならないでしょう。

あと、専攻内で慣例として引き継がれてきた某業務、これは所定業務ではなく、完全にボランティアとしてやっていたものですが、その在り方に疑問を持ち、思い切って休止にしてしまいました。このまま廃止にするつもりです。
この業務に限ったことではありませんが、本当に教員がやる必要があるのか、本当にこの条件でよいのか、業務命令者は誰なのか、そういうことに無自覚なまま、与えられた仕事をこなすという働きかたをして疑問すら抱かないという教員が多すぎます。まあ、目の前の仕事をこなすのが精一杯で、そんなことを考える余裕もないわけですが。大学側も、教員が裁量労働制であることに付け込んで、何でもかんでもやらせようとする。「ほんとに教員ってチョロいよな」と思っているに違いありません。
専任教員は、研究と教育以外にも山ほど仕事があるのは当然ですが、しかし、本当にそれらがすべて自分が引き受けなければならない仕事なのかどうか、しっかり考えるべきです。

| | コメント (0)

2016年3月13日 (日)

奴隷根性

いやはや、ブラック大学である前の職場から逃げてきて、ようやく安息の地にたどり着いたと思ったら、こっちはさらに上を行くブラック大学だったとはね・・・

ところで、プロフィール欄に「本ブログの記事の40パーセントはフィクションです」と書いていますが、新設カテゴリー「独裁大学での身の処し方」に書くことに限っては、すべてフィクションとしてお読みください。

さて、今の職場に来て5年が経とうとしています。
同僚にも恵まれ、当初は本当によい職場に来ることができたと思っていました。
確かに雑務は多いけど、それは専任教員ならば当たり前のことで、むしろ校務に忙殺されることこそ専任教員である、などというわけのわからない満足感に浸り、気付いてみれば依頼された仕事はひとつも断らず、そのうえ、段取りの悪い人に仕事を任せるくらいならば自分でやったるという性分が祟って、雑務まみれになっていました。
しかし、ここ数年、本学は知名度をどんどん上げており、自分もそういうことに貢献しているのだという思いで、雑務の多さを喜んですらいるような状態でした。はっきり言って、奴隷の鎖自慢というやつですね。

しかし、一昨秋以降、そういう考えを改めました。
転機となったのは、まさに“大学の闇”というにふさわしい事態に接し、それをめぐって法人に反発する人/迎合する人/無関心な人というスタンスがはっきりと見て取れたことです。

その、“闇”の具体的な内容については、またいずれ書きますが、とりあえず今日は、それ以降のことをいくつか。

例えば、学校教育法改正(学長権限の強化)にともない、多くの大学が昨春から学則を改正しました。しかし、私大の多くは、教授会権限を不当に縮小せぬよう工夫しています。
ところが、本学ではこれに便乗し、もともと小さかった教授会権限をさらに縮小するという改悪を、しかも教授会の審議を経ずに強行するという暴挙に出ました。
このやり方が、文科省の指導違反の可能性があるので、教職員組合は文科省に陳情書を出し、また団体交渉でも改悪の撤回を求めています。

特に問題となるのが、「教授会での決定」が「学長への意見」と変更された点です。
法人側は、「学教法改正に合わせて文言を修正しただけで、実質的にはなにも変わっていない」と説明しました。要するに、「労働条件に関わる変更ではないので、教授会での審議は必要ない」と言いたいわけですね。

そこで私は、団交の席上、法人側が突っ込まれたくないであろう一昨秋の某“闇”案件の話題をあえて出しました。

「なるほど、労働条件に関わる変更ではないとおっしゃる。では、例の件についてはどうでしょう? あの受け入れをめぐってうちの学部は、色々な学科であれこれ調整したり、時間をかけて議論したりして、それでも折り合いが付かなかったから受け入れを拒否したわけですよ。でも、新学則のもとでああいうことがあったら、そうはいかないと思うんですよね。あれだけ大変な思いで否決したことでも、それが(理事会の傀儡である)学長への“意見”ということになったら、ひっくり返されてしまうんですよ。学部ではどう頑張っても調整できないから否決したのに、それを差し戻されたら、それでも労働条件に関わらないって言えますか?」と。

これに対し、法人側は予想以上に慌て、とりあえず保留となりました。
なるほど、やっぱりこの件で騒がれたくないんだな。よしよし、これからも利用させてもらいましょう。

しかし、うちの教員の大半は、法人の言いなりになるイエスマンなので、私が団交でこんなやりとりしているのを知ったら泡を食って卒倒するでしょうね。

また、こんなこともありました。
法人が進めたいと思っている別の某案件につき、ある学部では、教授会で審議したら反対意見が出て否決されることを恐れた学部長が、「これは上で決まったことですので」と言って“報告”で済ませてしまいました。審議事項を、学部長の一存で報告事項に変えたわけです。そこまでして法人にシッポを振りたいという犬の気持ちは私にはまったく理解できません。
この学部の組合員がこのことを問題にしたので、うちの学部ではさすがに報告で済ませるわけにはいかず、かなり時間をかけて審議しました。
しかし、その際に出た意見は、「この大学では上で決まったことに反対しても無駄」「反対したらうちの学部が睨まれてしまう」「もっと現実主義で行きましょう」・・・という救いようのないものが少なくありませんでした。
現実主義とは笑わせてくれる。そういうのは現実主義ではなく「奴隷根性」というんですよ。
いったいこの人たちは、なにをそんなに恐れているんでしょうか? 理事会? それとも、うちの大学と密接な関係にあるあの政治家?
いずれにしても、教育や研究よりも、そんなことのほうが大事だという腰抜けどもを、私は大学教員と認めることはできない。学生と、そして学問を、そんなヤツらの手に委ねるわけにはいきません。

なお、後日、団交でこのことを採り上げた際、私は法人側出席者に向かってこう言いました。

「この件をうちの学部で審議した際、『上で決まったことには逆らえない』とか『反対しても無駄』とかいう意見が出たんですよ。多くの教員が、そういう考えなんです。いいんですか、教員と法人がこんな関係で? うちはそういう独裁大学なんですか? どうなんですか?」と。

まあ、独裁者かと問われ、それを爽やかに肯定する独裁者もなかなかいないでしょうから、「そんなことありません、独裁ではありません」と言ってましたけどね。
しかし、団交の席上で「独裁ではない」と言い、法人と教員は支配・被支配の関係ではないと明言したことは大きいですね。言質を取りました。

| | コメント (0)

2015年12月19日 (土)

暮れる前にいくつかメモ

ほとんど更新できないまま、気がつけばもう今年も暮れようとしています。
忙しいということもありますが、とてもここには書けないような学内のゴタゴタなどもありまして。
まあ、そのことはほとぼりが冷めたら少しずつ書くかもしれません。

さて、そう言っている間にも、時は流れていきます。
毎年のことですが、色々なトラブルもあったけど、卒論も無事に出揃いました。
これから16本読まなければならないわけですが、学内外の査読業務と被らない年末年始に読み終えてしまいましょう。
卒論発表会は、年明けの授業だけでは足りないので、+2コマ分ほど時間を取らないと。

某学会も、はやいもので事務局を引き受けて2年。
先々週、最後の例会が終わりました。
例会・大会はもうありませんが、次の事務局に引き継ぐための書類整理がとんでもなく大変そうです。
代表委員として、学会をよりよいものにすべく、色々な改革をしてきましたが、それを今後も(事務局が移っても)維持していけるようにしなければなりません。
事務局引き継ぎの時期も、3ヶ月ずらしました。
私は2014年1月から事務局を引き受けています。4月以降の業務にスムーズに取りかかれるようにということで、12月例会終了後すぐに事務局移動というのが慣例でしたが、それだと会計年度とズレが生じて不便なので、事務局移動も会計と同様に4月にしたわけです。
1~3月は例会等がないので、会計以外のことについてはあまり状況は変わりませんが、それでも12月のうちに慌てて引き継ぎをしなくて済んだので、ずいぶん楽です。その分、年明けの作業が大変ではありますが。
4月例会の準備も、現事務局で進めておかなければなりませんしね。

そういえば、この大学に来てもう5年が経とうとしています。
前の職場では准教授5年で教授昇任審査でしたが、うちの大学では6年かかります。
ただ、前職で半年だけ准教授をしているので、これもカウントすれば来年の9月末で丸6年。10月から教授になるべく、4月から審査開始ということはできないものかと思い、確認してみましたが、どうも年度の途中での昇任というのは認めていないみたいです。
講座制をとっている医学部は、流動性に対応すべく例外的に認めているようですが、他学部ではそういうことはやっていない、と。
とはいえ、学則で明文化さていないので、組合で強硬に交渉すれば可能だとは思いますが、半年早く昇任したところであまり得るものはないのでやめておきましょう。今の専攻主任の任期が来年の9月末までなので、10月に教授になった途端に主任を押し付けられるという事態も回避したいし。
そういえば、前職は10月着任だったので、准教授昇任審査まで2年のところ、やはり年度途中の昇任はないということで、2年半かかったんですよね。そして、前職退職から今の職場に来るまでの間に半年のブランクもあるし。
そういう半端な履歴も全部カウントされていれば、すでに教授になっていたのかもしれませんが、まあいいでしょう。回り道も人生。

| | コメント (0)

2015年10月26日 (月)

“あの時代”への階梯

放送大学、立教大学、ジュンク堂…等、政権批判に対する言論統制や自粛の風潮がどんどん強くなってきています
そうかと思えば、記憶遺産の件でユネスコへの恫喝ともいえるような政府の対応。また、南京も慰安婦も「なかった」と平然と言い切ってしまう人たち
そして、それよりも恐ろしいのは、ことここに至っても、無関心でいられる(あるいは、おかしいと思わない)人たちの多さ。「庶民は政治に口を出すべきではない」「下手なこと言って面倒ごとに巻き込まれたくない」ということなんでしょうが、こういう考え方が瀰漫してゆく一方で、政権批判者に難癖を付け、嬉々として攻撃するネット上の特定勢力。その相乗効果でますます下手な発言はできなくなり、気が付けば、誰も何も言えない社会が構築されてゆくのでしょう。
思想が統制され、弾圧されていた“あの時代”。そんな恐ろしい時代が、再びこの日本に訪れようとは、ちょっと前までは夢にも思っていませんでした。
時代の趨勢というものは、そのただ中にいると見えにくいもので、「まさかそんな、大げさな」と思う人もまだ少なくないかもしれませんが、今がまさに、そういう時代へと突っ走っている時であるということが、あとで振り返れば、いやというほどわかるようになるのでしょう。

こういうことは、なにも特別な時代のみに起こることではありません。
日常のなかに、常に潜んでいるのです。

私は前の職場を不当解雇に近い形で追い出されました。
あまりにも理不尽なことが目の前で次々と起こり、現実についてゆくのがやっとでしたが、ここまでひどいことをされたら、黙っていない人がきっといるはずで、いずれ誰かが動いてくれるに違いないと思いました。
ところが、誰も動かないんですよ。当事者だけでも20人以上はおり、関係者も含めたらかなりの人数にのぼるのに、なにごとも起こらないまま、事態は取り返しのつかないところまで進展していました。結局、みんな自分が矢面に立ちたくはないということでしょう。黙っていても、きっと誰かがアクションを起こしてくれるだろうから、わざわざ自分が先頭に立つことはない、と。
恥ずかしながら、私もそう考えていました。しかし、このままではどうにもならない。なので、私を含め数人が組合に相談し、大きな問題として認知されるようになりました。また、ともに戦ってくれる人や、陰ながら応援してくれる人もいました。
この件、「任期問題」のカテゴリーに記事が(中途半端ながら)ありますので、もうこれ以上は書きません。というか、書けません。あのつらかった日々、胃を壊して血を吐いたことや、保身のために平気で人を陥れる人間の存在、そして離婚のことなども思い出されますので・・・

さて、結果として我々は負け、大きな権力の前では「正義」「正論」は無力だということをいやというほど味わったわけですが、このことを通してわかったことがあります。
それは、
「誰かがやってくれることに期待せず、自分が動かなければどうにもならないこと」
「ひとりひとりがそう考えなければ、現状はなにも変わらないこと」
「自分に累が及ぶのがいやで、渦中にある人を避けたり批判したりする人間は、信頼するに足りないこと」
などです。

上記の事例はレアケースかもしれませんが、こういうことは、もっと日常的な文脈においても起こりうることです。
これほどでなくても、理不尽なことはどこの職場にも、いや職場に限らずどんな共同体においても、多かれ少なかれあるでしょう。
それに対し、いちいち文句を言ったり反抗したりする人は、上から「面倒なヤツ」と思われるだけでなく、利害を同じくする層からも「空気の読めないヤツ」と思われるかもしれません。しかし一方で、彼らは「こいつが言ってくれて状況が改善されれば儲けもの」と思っているのです。決して自分は「和を乱すヤツ」の烙印を押されずに済む安全圏に身を置きながら、協力もせず、でも成果だけは享受したいというフリーライダー(ただ乗り野郎)。こういう人は、どこの世界にもいるものです。

確かに、先頭切って戦うことができる人ばかりではないし、戦える人でも、毎回それが可能だとは限りません。誰だって、できればフリーライダーでいたいという願望はあるでしょう。人間って、そんなに強い生き物ではありませんからね。

しかし、それでも戦っている人への敬意を忘れてはいけないと思います。
彼らへの敬意もなく、それどころか面倒くさい人間として敬遠し、あるいは批判すらしてしまう。
そういう人間が多いとは言いませんが、決して少なくはありません。

翻って、政権批判者への対応はどうでしょう。
心の底から与党のやることを信じ切っている人たちも一定数はいると思いますし、自分の歩んできた人生のなかで得た知識と経験に基づいてそういう考えに至ったというのであれば文句はありません(ただ、あれほどあからさまな憲法違反、手続きの不備に目をつぶっている点はいただけませんが)。

問題は、政権批判をしている人たちに同調・共感することにより、自分が不利益を被るのではないか、面倒ごとに巻き込まれるのではないかと考え、関わりを避ける。こういう種類の人間が、かなり多いのではないでしょうか。
もちろん、業務上、どうしても政治的主張をできない人もいるでしょう(実は私もそれに近い)。生きてゆくために、それはしかたのないことだと思います。
ただ、そうであっても、政権批判をしている人のことを「面倒くさい人」「和を乱すヤツ」としか見ることのできない貧しい心根だけは持ってほしくないのですよ。
政治的無関心層が少なくないことは、やむを得ないと思います。だとしても、そういう人たちまでが“勇気ある批判者”に冷たい目を向ける。あるいは奇異の目で見る。彼らのそういう行為ひとつひとつの集合体として、下手なことを言えない風潮というものが醸成され、政権批判のしにくい社会ができてしまうのだと思います。

“あの時代”のことを、我々はついこの間まで、“不思議なことにみんなが洗脳されてしまった極めて特殊で不可解な時代”と考えていたかもしれません。
しかし、人間とは安易に無難な道を選んでしまう弱い生き物であるがゆえ、“もの言えぬ社会”は、いつでも我々のすぐ隣に潜んでいます。そこに付け込んでくるのがブラック企業であり、そして独裁国家なのです。
それを回避するには、“力のある、どこかの誰か”に頼るのではなく、とても弱い我々ひとりひとりが、自覚を持って生きてゆくしかないのではないでしょうか。

| | コメント (0)

2015年9月30日 (水)

いま、研究者にできること

この2ヶ月、なにも書けなくなってしまいました。
学会その他で忙しかったということもありますが、それ以上に、立憲主義・民主主義がどんどん崩れ去ってゆくのを目の当たりにし、現実を受け入れられなかったというのが最大の理由です。
311以降、しばらくなにも書けなくなったという研究者や作家が少なからずいたということですが、そういう感覚に近いのでしょうか。

安保反対は左、賛成は右――という単純な二元論では、今回の安保をめぐる一連の騒動は説明できません。
一応言っておきますが、そもそも私は(よく勘違いされますが)左派ではないんですよ。9条含め改憲は必要だと考えていますし(例えば、現状グレーと言いうる自衛隊の位置付けを明確化するために)、その一事をもって右と断ずるのは浅はかですが、右か左かと問われれば、まあギリギリで「中道右派」くらいが適当な位置付けなのではないかと思っています。

しかし、今回の与党のやり方は、強引な解釈改憲によって安保法制を強行したわけで、たとえ法制の内容が国際情勢や安全保障の面で必要不可欠なものであったとしても、完全に手順を誤っています。
こんな無茶苦茶なやり方が通るのなら、どんな悪法だって数の力で制定することが可能となってしまいます。例えば、治安維持法の復活とか。
安保の“内容”に賛成する人が一定数いることはやむをえないとも思いますが、しかし、それとこれとは別問題。まずは改憲を国民に問い、それが達成できたら、その範囲内で定めるべきです。わざわざ書くのもバカらしいほどに当たり前のことです。

しかも、この法制の内容についても、しどろもどろで満足な答弁ができていないわけで、とてもこんな状態で制定することなどできるはずもない。
それなのに、あれだけ大勢の与党の議員が全員賛成だなんて、いくら党議拘束があるからとはいえ、とうてい信じられません。造反者の10人や20人は出てもおかしくないと思っていました(欠席者はいましたね)。

議員であれ、市民であれ、賛成している人は本当に心からそう思っているのでしょうか。
前記のとおり、国際情勢や安全保障の面で賛成する人がいることは不思議ではありません(私は、そういう見解を持つ人たちの言い分も怪しいと思っていますが、まあいいでしょう)。
しかし問題は、法制の内容はどうであれ、こんな強引なやり方がまかり通るということです。どうしてこのことに恐怖を感じないのでしょうか。

あれだけ多くの憲法学者や法制局・最高裁OBが違憲と言っているのに、「数の問題ではない」「一私人の意見」と言い、集団的自衛権の論拠として錦の御旗の如く砂川判決を持ち出し、それが根拠にならないことを指摘されても、臭いものに蓋。そして、「そもそも自衛隊を違憲という者もいる」とか言って論点をずらす。
結局、「違憲である」ということに真っ正面から答えることもできていない。
確かに、違憲か否かの判断をするのは最高裁ですが、では、それまでは何をしてもよいのか、という話です。
審議の段階でこれだけ多くの不備がある(違憲論が出ている)時点で、廃案とするのが当たり前でしょう。それに目をつぶって数の力で通してしまうのは、国会審議それ自体を否定することになってしまいます。
そして極めつけは、内閣法制局が、憲法解釈変更の検討経緯を公文書として残していないというのですから、あまりのことに二の句が継げません。

ところで、私は学者の会で署名をしています。
当初は、名前・所属非公開で署名していました。というのも、今の職場は与党の某政治家と関わりがあるため、面倒ごとに巻き込まれない用心のためです。
しかし、この一連の騒動を通し、大学教員という立場で政治的発言をすることの意味と責任は、これまで考えていた以上に大きいものであると実感するに至りました。だからこそ、あえてここは実名を出すべきだと考え、署名を実名に切り換えました。
また、多くの大学で安保反対有志の会が立ち上がっていますが、私の関わる3大学でも立ち上がったので、署名しました。
今の職場は上記のとおりなので、有志の会はできないでしょう。私が発起人になることも考えましたが、戦略としては得策ではないので、保留中です。
デモにもいくつか行きました。といっても、一緒になってシュプレヒコールをあげたわけではなく、「見学」という感じですが。

ともあれ、これらを通してわかったことは、反対派のなかにも色々な立場の人がいるということです。
なにがなんでも反対、改憲も反対、9条守れ、ついでに原発も反対・・・という人から、改憲には賛成、集団的自衛権も場合によっては賛成という人まで。

私自身、これまでの人生で左翼に対する不信感というものが少なからずありました。
それは、学部と大学院で、それぞれ某団体の理不尽な蛮行を見てきたからです。
また、「知識人は当然左派でなければならない、そうでなければ恥ずかしい、だからあなたも当然9条を愛していて、自衛隊反対、君が代反対、死刑反対、原発反対よね、ね、ね」・・・とでもいわんばかりの態度をとる人がたまにいるので、そういう左翼全体主義にはついて行けないと思っていました。南京にしても慰安婦にしても、そんなに躍起になって祖国を貶めなくてもいいのに・・・という思いもあり(だからといって「なかった」とは思いませんが)。
あとは、ふだんは左派的な発言をしている人が、いざ権力(例えば大学当局)と一戦交えることになった途端に尻込みしてしてしまう、というのを目の当たりにしたことも影響しています。
理念は立派だけれど、とても信じ切ることはできない、と。

そういう私ですら、どう考えても今回の与党のやり方は、あまりにも理不尽で、暴力的なものだと思っています。これはもはや、右とか左とかの問題ではありません。
右や左の一部の人たちが、互いを貶すためにどうでもいい揚げ足取りをしていますが、そんなことよりも、もっと大きな視点で問題を直視してほしいですね。

加えて、テレビ局や新聞社の偏向報道・情報統制、政権批判者(デモ参加・ポスター落書き)の見せしめ逮捕。そして、防衛省の研究助成も採択課題が決まりました。
着実に、「いつか来た道」を歩んでいます。

「学問」は、この大きな動きの前では無力なのでしょうか。
文科省の文系つぶし(撤回しましたが)ともあいまって、そのことを改めて思い知らされた2ヶ月でした。
しかし、自分にできることとできないことをしっかり見きわめ、これまでの研究者としての人生を裏切らぬよう、時局に臨んでいきます。

| | コメント (0)

2015年7月27日 (月)

研究費と戦争についての妄想

私自身は左翼でもないし、護憲派でもないんですが、(もちろん右翼でもないんですが、)しかし、今回の安保法案の通し方にはまったく賛同できません。というか、とても腹が立っています。
が、ここでは政治的な発言は極力しない方針なので、安保法案そのものについては、これ以上のコメントは控えます。

さて、こうした動向とも色々な形で繋がっているのでしょうが、防衛省から安全保障技術研究推進制度が発表されました。大学等の研究者に対する競争的資金で、「防衛省が行う研究開発フェーズで活用する」、つまり軍事研究を目的としたものです。一応、「デュアルユースとして、委託先を通じて民生分野で活用されることを期待しています」とは言っていますけれども。

省庁による競争的資金としては文科省の科研費がもっとも有名ですが、我々人文系研究者にはあまりなじみのない厚労省や環境省などのものも含め、この種の研究費はけっこうあります
なので、そういう制度がひとつ増えただけとも言えますが、やはりこれはモノがモノだけに、そして安保法案とも相俟って、危険視する向きが目立ちますね。

確かに、我々の生活のなかにも軍事研究に由来する素材や技術もたくさん使われていて、その恩恵は計り知れないものですから、「軍事研究に繋がる可能性があるものはすべてダメ」などというのは浅はかです。しかし問題は、これが大学等の研究者を対象とした競争的資金であることなんですよ。

「研究者を動かすには研究費を与えればよい」。
研究費は、単に研究に必要な物品の購入に使われるだけでなく、各種学術インフラを運営するにも欠かせない資金です。それゆえ、自分が研究代表者あるいは分担者として執行している予算だけの問題ではありません。
制度的な話をすれば、ある領域が研究分野として独立するには、単にそれを研究する人がいるというだけではなく、研究機関があり、研究を発表する媒体があり、そして研究者にキャリアパスを提供する必要があります。そして、こうした一連の過程の随所に、大学運営費のみならず、各種研究費が大量に投入されているわけです。

ちょっとここで、戦前~戦時中の学術行政を見てみましょう。
1918年、文部省は自然科学研究奨励金の交付を開始しましたが、戦争へと向かう情勢下、科学技術の振興のみならず、1929年には国体観念の発揚を目的とした精神科学研究奨励金が交付され、日本・東洋の精神文化に関わる研究が奨励されました。これは、1932年の国民精神文化研究所の設置や1935年の教学刷新評議会の設置等と併せ、戦時中の思想統制へと繋がる動向のひとつといってよいでしょう。
また、我々が科研その他でお世話になっている日本学術振興会は、満州事変を背景とし、産業・国防の基礎として科学技術の振興が重視されるなかで学術振興の建議がなされ、1932年に設立されました。
1942年には内閣に設置された技術院を中心とし、科学動員体制が確立、翌年には人文科学部門を加え、研究動員委員会を設置。また研究動員会議が置かれ、重要研究課題に従事する研究者を内閣が任命する臨時戦時研究員設置制が公布されます。

さて、改めて件の防衛省の研究費について考えてみると、今回発表されたものは“防衛に資する”28のテーマを公募するというものです。つまり、どこからどう見ても軍事研究のための予算です。
ちょっと前に東大が軍事研究解禁か、と騒がれたこともありましたが、すぐにそれを否定する総長声明が出されました。
しかし、この時も問題となりましたが、デュアルユースということを考えると、非軍事研究であっても、軍事目的とされる可能性をゼロにすることは難しいのではないでしょうか。

ましてや、今回の防衛省の研究費は、
「既存の防衛装備の能力を飛躍的に向上させる技術」
「新しい概念の防衛装備の創製につながるような革新的な技術」
「注目されている先端技術の防衛分野への適用技術」
という観点で選定するといっているわけですからね。完全に軍事研究です。
28もの具体的なテーマを掲げ、それなりの予算を割いているわけですから、応募者はかなりの数に上るでしょう。
軍事研究を主とする研究者でなくても、民生分野での活用を目的として応募することもできるわけですし。
莫大な予算が必要とされる分野の研究者は、資金を取れるところから取ってこなければ研究が立ちゆきません。自分ひとりだけの問題ではなく、ラボに機材を揃えたり、研究員や事務員を雇用したり、海外から研究者を招聘したり、ラボのメンバー総出で国際会議に参加したり・・・という活動を維持するための資金がなくなったら大変なことです。省庁から、企業から、財団から・・・と、ありとあらゆる研究資金の獲得が求められます。
そこに防衛省から新たな資金が提示され、公募テーマが自らの研究と合致するならば、「軍事利用される可能性があるからダメ」だとか言っている余裕はないんじゃないでしょうか。

これは、理系だけの話ではありません。
今回発表された28のテーマは理工・情報系のもののみですが、テーマは毎年更新されるとのことなので、この先、文系に関わるテーマが出てこないとは限りません。

現在、国立大学の文系学部の見直しが迫られており、国立のみならず国公私立大学の文系学部全体の危機ともいえる状況へと向かいつつありますが、もし今後、文系に関わるテーマで軍事研究が推進されたらどうなるでしょうか。
社会系ならば、十分あり得そうですね。
いやいや、人文系でもあるかもしれませんよ。例えば、「国体観念の発揚」とか。
まさかそんな、と思うかもしれませんが、これは実際に過去にあったことですからね。そうなっても不思議ではありません。
文系のなかでも、とりわけ将来の暗い人文系。そのなかには、思想統制に利用されうる分野がいくつもあります。
そういう分野の研究者に対し、巨額の予算が計上されたらどうなるでしょう。分野の維持、あるいはポストの獲得と引き換えに、そういう研究に加担する人を責められるでしょうか? 現在の人文系の惨状を知っている者ならば、そんな気楽なことを言っていられるはずのないことは、いやというほどわかるでしょう。

近い将来、科研の分科細目表に「文学」「史学」といった既存の分科と並び、「国体研究」「ナショナリズム研究」等の分科が作られることも、あながち妄想とはいえないでしょう。
もちろん、競争的資金が即座にポストの創出や学部・学科の維持に繋がるわけではないにせよ、アカデミアにおける分科細目表の影響の大きさは、この世界の住人ならば、よく知っていることでしょう。

場合によっては、単に研究費の配分だけにとどまらない、もっと大きな動きに繋がる可能性だって想定してよいかもしれません。

明治期にナショナルアイデンティティの闡明を目的として創りあげられた「日本文学研究」は、戦後、その意義を喪失したと見る向きもあります。
逆にいえば、もし上記のような予算が計上されたとしたら、風前の灯火である当該分野(あるいは隣接分野)の復権が現実的となるわけです。背に腹は代えられません。そうなったとき、そういう方向に走る研究者が現れても不思議ではありません。いや、「分野の維持のため」、大量に現れるでしょう。
この流れを食い止めるには、どこから手を付ければよいのか、私にはわかりません。これが、ただの妄想で終わることを願うのみです。

| | コメント (0)

2015年7月18日 (土)

学会とか研究会とか調査とか

事務局を引き受けている学会の例会を、4月中旬に大阪で、6月上旬に東京で開催。いずれも無事終了。そして、今年度の会誌も刊行しました。
これで、あとは9月の大会と12月の例会を残すのみ。「のみ」といっても、大会は会場も引き受けているので、相当の労力を費やすことになります。
そして、次期事務局に引き継ぐための準備も、あれこれしておかなければなりません。

そういう次第で、他の学会にはあいかわらず行っている余裕がなく、某時代別学会にはもう何年行っていないことやら。
それでも、6月末の某学会の大会@東京は、なんとか都合がついたので出席。どうしても聴きたい発表が複数あったから、ということもありましたが。

隣県の某氏が昨夏に採択された某大型予算内の公募プロジェクト。
私は一応、そのなかの部門統括らしき役回りでもあるので、こちらもできる範囲で参加しています。
今年になって新規開拓した某寺調査に2回ほど参加し、来月早々には東京で成果報告のパネルでディスカッサント。
もう少し腰を据えて協力していきたいところですが、現段階ではこれが限界です。

東京の某氏の科研による調査。
以前は連携研究者だったこともありますが、なかなか参加できず、現在は研究協力者として名前のみ連ねている状況。
この夏は、なんとか2日くらいは参加できそうです。

あと、かつて調査していた京都の某寺。
ずっと刊行できないまま何年も塩漬け状態だった報告書ですが、諸事情を勘案し、これまでの継続誌として出すのを断念しました。苦渋の選択です。
寄稿してくれた方々には本当に申し訳ないことになりましたが、それぞれ他の媒体に書いていただくことにしました。
また、この寺の資料に限らず、今後、色々な資料を翻刻公刊するための方法についても、新たなやり方を検討中です。

そして、科研による調査を継続している某寺。
こちらは今年もほぼ毎月調査をし、夏休みにはある程度の調査日数を確保できそうです。
なんとか今年度中に全点の調査を終え、棒目録(簡易目録)を完成させたいところです。

・・・と、こうして書き出してみると、けっこう研究に時間を割いているようにも見えますが、実際には校務と学会業務、そして学内の某ゴタゴタなどに時間を取られ、本当に細々とやっているのみです。
そして、恥ずかしいことに、しばらく論文らしきものを書けない状態が続いています。
自己管理能力に欠けるうえに研究能力もさほど高くないことを自覚している私でも、さすがにこれは、研究者として本当に恥ずかしいことだと思います。
今どきの大学教員が忙しいのは当たり前のことであり、そしてそういう環境下でも、書いている研究者はいくらでもいます。なので、書けない人間に弁解の余地はありません
どんなに忙しくても、半年なにも書けなければ末期症状、1年書けなかったらもはや研究者としては終了だと思っています。

| | コメント (0)

2015年7月17日 (金)

今年のゼミと講義

なかなか更新できないまま、気付いたらもう前期も終わりに近付いてきました。
そんな時期に今さらですが、今年の3回ゼミ生は14人。今年は人数を絞るために、それなりのハードル(初回にレポート提出)を設けたんですが、それでもこの人数。
4回ゼミ生の16人(他ゼミへの移動や留年などで3人減)と併せて30人という大所帯。
着任時には3つの古典ゼミ併せて1学年1ケタでしたが、そういう古典不人気時代からは考えられないような状況となっています。
しかし、果たしてみんながみんな古典をやりたくてうちに来ているのかどうかは、まだわかりませんけどね。

それとは逆に、大学院は閑散としています。
今年も(例年通り)古典の院生はいませんが、近代や日本史の院生が受講しているので、院ゼミは久しぶりの開講です。
今まで月曜だったのを金曜に移したため、金曜は3ゼミ、4ゼミ、院ゼミと3コマ連続。
そして木曜に講義2コマと基礎ゼミということで、リレー講義を除き、木金の2日に全授業を集める形になっています。

リレー講義は火曜ですが、火曜は会議日なので、講義を担当しない週でも(そして会議がない日でも一応)出勤。

うちの“規定”では週4日出勤ということになっていますが、実はこれ、学則等の文言に依拠しているわけではありません。
このあたりのことについて、組合が週3出勤を主張しており、私も賛同していますが、今年は月曜を学会業務に充てているため、結局は週4です。

さて、それはともかく、木金に授業を固めていることが仇となり(?)、昨日・今日の暴風警報によって計6コマがつぶれてしまいました。
本来ならば補講となるところですが、今年は祝日をしっかり休むような学事日程となったためか、補講日程が1日も確保できていません。よって、補講なし。
それはいいけど、来週は2週かけてやろうと思っていたことを1回で終わらせなければならないので、少し段取りを考えないと。

| | コメント (0)

2015年5月31日 (日)

5月も終わり

もう5月も終わります。
新年度になってからあれこれ忙しく、更新している余裕がありませんでした。

さて、今年度、専攻では2人の新任教員を迎えました。
1人は、今春退任した日本語学研究者の後任。
もう1人は、作家。2年前に退任した古典研究者のポストを創作系ポストに変更し、一昨年公募したものの適任者を得ることができず、去年再公募してようやく採用。
専任としてはこの2人ですが、さらに学内他部署(研究所)から移籍してきた特任教員もいて、ずいぶん布陣が変わりました。

それから科研ですが、今回も無事に採択され、某寺調査も継続することができます。
今までの調査では、うちの学生はデータ入力の仕事はお願いしていましたが、調査現場には動員していませんでした。しかし、調査を効率的に進めるにはそれなりの人数も確保したいし、学生にも調査を経験させたくて、数人に参加してもらうことにしました。

学会事務局は2年目。
次期事務局も決まっているし、最後の例会までテーマ・日程・会場も決まったので、ずいぶん気は楽になりましたが、9月の大会は本学が会場なので、いろいろ大変です。

大会を含め、学会業務の負担があまりにも大きいので、に書いたとおり、某校務を今年限定で外してもらいました。
こういう理由で辞退するというのは前例がなかったのですが、何度も何度も説明し、ようやく認めてもらいました。しかし、逆に言えば、今後はよほどのことがなければ、この業務から外れることはできない、ということになってしまったのかもしれません。それはまずいよね。
うちの学部の教員は、この業務負担が他学部に比べても大きく、毎年やって当たり前という雰囲気です。でもね、みんなが当たり前だと思って唯々諾々と従っていては、大学当局の思うつぼ。実際、この業務をめぐる環境は年々悪化しています。しかし、現場が成り立つ限り、当局は真剣に改善しようなどとは考えません。「検討します」とは言うけれど、口先だけなのは明らか。一度、多くの教員がこの業務を辞退して、危機に直面しない限り、変わらないでしょうね。

・・・いやいや、この大学が抱える多くの問題から見れば、こんなのはたいしたことではありません。
昨秋、そして今春、学部教授会の自治を脅かす大きな事件が起こりました。ここには書けませんが、まあ、お察しください。

| | コメント (0)

«4度目の卒業式