2018年2月10日 (土)

裏口人事反対闘争(3)

(承

それにしても不可解なのは、どうして学部長は、ここまで忠犬の如く法人に服従するのかということです。
「私が学部長でなかったら、こんな汚い人事は絶対に反対するが、学部長という立場上できない」。
学部長の立場にある人には、学則よりも、学問や教育よりも、同僚や学生からの信頼よりも、なお優先しなければならないことがあるとでもいうのでしょうか?
着任から年数の浅い教員たちの目には、この人事にかかわる学部長の強引な態度はきわめて奇妙なものに映っていました。「理事になにか弱みでも握られているのかな」と話し合ったこともあります。
しかし、やや長くこの大学にいる教員にいわせると、そういうことではなく、「要するに、理事になりたいんでしょ、あの人」と。
大学理事というポストがそんな魅力的なものだとは思っていなかったので、そういわれてもピンときません。よくよく聞いてみると、本学の理事になると、年2000万円の理事報酬が生涯支給されるそうです。
なるほど、退職後に年金暮らしになるか年収2000万生活を送れるかでは、天と地ほどの差がありますね。
しかし、そもそも学問をするために大学教員になったはずなのに、カネに目がくらんでなりふりかまわず法人の手足となり、ここまで恥知らずな振る舞いができるものでしょうか? というか、理事になるには、そういう手段しかないのでしょうか?
自分の学問に見切りをつけた人にとって、もはやこれしか拠り所がないのだとしても、いやはや本当に憐れな人ですね・・・

さて、それはともかく、C専攻での受け入れ承認に失敗した学部長が、これからどう動くか。
ここは、学者としての誇りを失わず、自分の進退を賭けてでも理事に諌言してほしいものです。「我が学部は、このような人事を受け入れることは断じてできない」と。
学問とはなにか。教育とはなにか。大学とはなにか――。
少しでも良心が残っているのなら、多くの教員のこうした真摯な主張を受け止め、そのくらいの男気を見せてくれるのではないかと、わずかばかりの期待をしましたが、当時の私は、あまりにも学部長という人間を知らなすぎました。
今ならわかります。この男は、絶対に、そんな器ではない、と。

受け入れの同意を得られなかった専攻会議の2日後、再び専攻会議が緊急招集されました。
嫌な予感しかしませんでしたが、案に相違し、会議では主任から「候補者の所属は○○研究所に決まりました」との報告を受け、安堵のため息をつきました。
これは学内の研究所ですが、所員はみな学部所属教員が兼任しており、専任教員はいません。専任教員のいる研究所もいくつかありますが、そうではない研究所に新たに専任ポストを作ったわけですから、法人はかなり無理をしたと思われます。そこまでしてでも通さねばならない人事だったということでしょう。
ただ、その研究所の業務のほかに、専任教員としての責任コマ数をこなさなければなりません。
もともと専任のいない部署ですから、所管科目はありません。そこで、本学部から科目を提供してほしいということで、ABC各専攻が「痛み分け」として、それぞれ数コマずつ提供することになったそうです。なので、C専攻からも提供科目を決めましょう、と。
でもこれ、よく考えるとおかしな話ですよね。
学内の兼担でも、あるいは非常勤講師であっても、科目担当者を決めるのはその科目を所管する学部や学科・専攻の教員です。そこで履歴書や研究業績を確認したうえで審議して決めるものなのに、教員としての受け入れを拒否した3専攻が、科目を無条件で提供するなんて、意味がわかりません。
しかし、各専攻とも専任としての受け入れを回避できたことに安心し、そのくらいならしょうがないという空気になっていたのでしょう。いま思えば、この時にしっかり科目担当者決定の正規プロセスを踏んでいないことを抗議しておくべきでした。だいたい、こっちはなんの落ち度もないのに、「痛み分け」ってなんやねん。

また、専攻会議後にはこのようなことを思いました。
専任教員が配置転換で学内他部署に移動することがたまにあります。その場合、新規採用とは比べものにならないほど簡単な手続きで承認されます。
ということは、最初は研究所に配属しておき、数年経ったら(下手したら1年で)本学部に配置転換というストーリーを法人は描いているのではないかと。うちの学部で授業を担当させることで、既成事実もできてしまいます。
だとしたら、これは完全な騙し討ちではないか。早急に釘を刺しておかなければなりません。

翌週の教員会議で、学部長より、候補者の研究所配属と、3専攻からの科目提供について報告がありました。
私はそれまで教員会議で発言したことなどほとんどなかったのですが、ここ数ヶ月の動向を見ていると、黙っていたらとんでもないことになりそうなので、意を決して学部長に質問をしてみました。
「今回の人事、突然うちの学部に降ってきて大騒ぎした結果、どこの専攻でも受け入れることができないということになり、かと思ったら、次はあっさり研究所に決まったわけですが、我々はなにがなんだかわからないまま、ずっと振り回されていたように思います。その人の受け入れをめぐり何十時間も議論し、みんな疲弊しきっているわけですから、少なくともこの人事の背景について、法人に説明を求めるべきではないでしょうか?」と。
しかし学部長からは、「そんなこと、できるわけがない。我々は黙って従うしかないんです」と、あまりにも情けない回答。人の上に立つ器でないことは、ここからも明らかです。
呆れましたが、こんな人が学部長になってしまった不幸を今さら嘆いてもしかたありません。それよりも、配置転換について確認するほうが重要です。
「とりあえず研究所で採用してから、あとでうちの学部に配置転換という可能性はないのですか?」と質問すると、「それはなんともいえない。そういうこともあるかもしれない」というので、やはりそうかと思いつつ、「では、もし将来そういう話が出た場合は、専攻教員の知らないうちに決まっていたり、強引に押し付けたりすることがないよう、受け入れの可否についてちゃんと議論する場を持ち、専攻の意向を無視しないということを約束してください」と念を押すと、学部長はそれを了承しました。
よし、これで言質を取ることができた。議論の場さえ保障されれば、3専攻とも何度議論しても同意は得られないはずだから大丈夫。

さて、私のこの発言を受け、会議終了後、AB専攻の組合員が勧誘に来ました。
着任以来、長らく組合に入る必要性を感じていなかったため(着任当初の組合は弱腰だったということもあり)ずっと未加入でしたが、ここ数ヶ月の動きを見て加入するつもりでいたので、一も二もなく手続きをしました。
そしてこの人事にかかわる交渉の中心となっている書記長(他学部教員)を紹介され、現状と今後の戦略などを教えてもらいました。

(まだまだ続きますが、疲れたのでしばらく休みます)

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さて

堰を切ったかのように、突然「裏口人事」ネタが投下されたので、なにごとかと思ったことでしょう。実際、それなりに反響もありました。
これまでも、この件を匂わせるようなことは何度か書いていますが、はっきりと書いたことはありません。
ことの起こりから3年以上が経過した今になって記事にするということは、なにか大きな進展があったのだろうと思っていただいてかまいません。

ただ、より大きな進展を目指し、次の段階へと進めてゆく過程で、この記事が邪魔になる可能性はゼロではありません。
その場合はすぐに消します。

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2018年2月 7日 (水)

裏口人事反対闘争(2)

(承

学部長に専攻でのコネ人事受け入れを強引に了承させられた日、帰りにメールボックスを確認すると組合ニュースが配布されていました。
それには学則の当該条が引用され、「非公募の人事であっても、その承認は学則に従う必要があります」と。具体的な事例は挙げず、あくまで一般論としてごく簡潔に書いていますが、このタイミングでこれが非組合員も含めた本学部全教員に配布されたことの意義はとても大きいでしょう。

さて、週と月が改まり、専攻会議で主任より面接の報告がなされました。面接をした結果、「候補者の受け入れはC専攻にお願いしたい」ということが主任会議で承認された、とのこと。
その報告が終わるやいなや、私は「面接前日に学部長が研究室に来て、C専攻で受け入れたいと私を説得し、その時はしぶしぶ了承しました。しかし、改めて候補者の論文を読み直したところ、研究能力からしてとても本学・本専攻の教員は務まらないと判断し、やはり反対します」と。
学部長をチラッと見ると茫然としていましたが、気にせず、いかにその人の研究能力が劣っているかということを、当該分野や隣接分野の研究動向等とも併せ、詳細に説明しました。
続いてもう1人の教員も、私とは異なる視点から候補者の研究能力のなさと、専攻カリキュラムとの不適合性について説明。分野は異なるものの、C専攻のなかでは比較的その候補者に近い位置にいる2人の教員がこれだけ強く適性に疑問符を付けているのですから、まともな研究機関であれば、この人の採用はありえないでしょう。「専門の近いおふたりがそう判断するのなら、私も同意します」という意見も複数出ました。
ところが、「これはもはや、研究能力がどうこうという問題ではなく、大学が採れといったら採らざるを得ない。どんなアホでも採らなくちゃならない、そういう人事なんだと思います」「だから、研究能力の有無ではなく、どうやったらうちの専攻で受け入れることができるのか、うまくこの人を使うことができるのか、そういうことを考えていきましょう」という呆れるような意見も出ました。
着任してから3年と数ヶ月、それまでは研究者・教育者としても、お人柄も、とてもよい同僚に恵まれたと思っていた私にとって、非常にショックでした。この人たち、いったい大学をなんだと思っているんだ? 大学の社会的責任ということを考えたことあるのか?
とはいえ、受け入れ派の人たちも、本音をいえば受け入れたくないわけですし、そもそもその理屈でいけば、AB専攻は断ったのにC専攻だけが泥を被るということが説明できません。何時間議論しても結論は出ず、主任が「では、同意は得られないということですね」と締めました。
思惑がはずれ、学部長はショックだったでしょう。
「C専攻で受け入れの同意が得られなかった」という結果を学部全体の会議に出せば、他専攻の人も「同意が得られないならC専攻に押し付けることはできないよね」と思うでしょうし、「非公募人事も学則に従う」という組合ニュースが配られたこととも併せ、3分の2以上の賛成はとうてい得られないでしょう。そういうことが脳裏を駆け巡ったのか、学部長は突如、「組合があんなニュースなんか配るから面倒なことになったんだ!」と逆ギレして組合を非難し始めました。
いったいなにを言ってるんだ、このおっさん。組合は、学則の条文を引用し、学則を守りましょうという当たり前のことを書いただけです。それにキレるということは、自分は学則違反をしてでも人事を強行したかったと白状しているようなものです。呆れて言葉もありません。
なお、この時点ではC専攻に組合員はいませんでしたが、私を含め加入を検討している人もおり、学部長の逆ギレは、組合加入をためらわせるのに十分な威嚇となりました。もしかしたら、組合員の増加を抑止しようという意図もあったのかもしれません。

しかし、なにはともあれ、これでC専攻での受け入れはほぼなくなったと思いますし、他の専攻でも同様です。12月はじめの段階でこの状態では、もう本学部での受け入れは無理でしょうね。
とはいえ法人は、本学にとってきわめて重要な某人物のコネ人事を、今さら白紙撤回するわけにもいかず、次はどんな手を打ってくるでしょうか。

続く

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2018年2月 3日 (土)

裏口人事反対闘争(1)

(承

私が本学に着任して4年目の秋、法人から「この人物を採用せよ」との指示を受けた当時の学部長が、ある専攻(A)に受け入れを打診していることを知りました。
 
それまで専任教員採用人事は全部公募で決めてきたし、自分も真剣勝負で選考してきたというのに、一方でこんなことがなされていることを知り、たいへんなショックでした。
例えば作家や芸術家、実務家教員等、公募では採りにくいタイプの人材もいます。そういう場合に公募でなく、受け入れ部署の教員が必要な人材を検討して一本釣りをするというのであれば話は別です。
しかし、この時に法人が採用を指示してきたのは、公募をすればいくらでも応募者が集まる分野の研究者であり、しかもその人は、過去5年論文を書いていない、はっきり言って無能な研究者でした。この程度の業績では、日本中どこの大学でも書類選考すら通らないことが確実なレベルです。
1999年以降、本学部ではずっと専任教員を公募で決めてきたそうです。なのに、どうして突然こんな研究者を非公募で採用しようとするんだろうと不思議に思い、素姓を調べてみたところ、おそらく本学にとってきわめて重要な立場にいる某人物のコネであろうということがわかりました。
そういうコネがあるだけで、無能な研究者が我々の同僚になるなんて許せません。そんな人を採った日には、外からは、我々もコネ採用なんじゃないかという目で見られてしまいます。専任職に就くまでに自分が経験してきた苦労と、高倍率をくぐり抜けて本学に採用されたことを思い起こせば、断じて許せることではない。
それに、学生に対しても失礼です。本学の学生は、こんなエセ研究者に騙されるほどバカではありません。
 
ところが、受け入れを打診されたA専攻は、カリキュラムの編成上、その人物を受け入れることは無理であると言って断りました。
のみならず、A専攻では、長年教員を苦しめてきた某問題が教員労組の力で解決し組合員が急増している時期でしたので、この時点でコネ人事の成り行きは組合も注視するところとなりました。
 
そういうことを知ってか知らずか、学部長はそこへの押し付けを断念し、他の専攻(B)へ打診し始めました。
しかし、そもそも専門分野も違いますし、どう考えても無理筋の依頼です。こちらもカリキュラム上、まったく受け入れる余地のない状態でしたが、どうしてもこのコネ人事を通したかった学部長は、B専攻の会議に乗り込んで主任を怒鳴りつけるなどという暴挙に出ました。
こうなると、もはや正気の沙汰ではありません。B専攻に組合員はいませんでしたが、危険を感じてある教員が組合に加入しました。
 
なお、当時の学部長は私と同じ専攻(C)の教員です。
ある日、私の研究室を訪れ、コネ採用候補者の研究能力について尋ねてきました。
私とは分野の異なる研究者ですが、対象とする時代が近いということもあり、私の意見を聞きたかったのでしょう。
なので私は、「はっきり言って、本学の教員が務まるとは思えませんね。こんな人を採るなんて、研究機関としての見識が疑われます。論外です」と答えました。
「まあ、業績からしてそうだろうとは私も思うけど、でもこれは上からの指示で、どうしても通さなきゃならない人事なんだよ。これを断ると、うちの学部が理事から報復を受けるかもしれない」と学部長。
私の機嫌を取るためか、あるいは本音なのか知りませんが、この人事のことを「汚い人事」とも言っていました。
しかし、すでにB専攻からも反対されており、下手すればうちの専攻で採るとか言い出すんじゃないかという懸念を私が口にすると、「なんとかB専攻に折れてもらうから、C専攻で採るということは絶対にありません。なので、いやだろうけど、同じ学部の教員として迎えることを我慢してほしい」とも。
「折れてもらう」とか言うけれど、私に対し「いやぁ、この前なんて○○さんを怒鳴りつけちゃってさw」と、B専攻主任に受け入れ強要ハラスメントをしていることを誇らしそうに話すので、ドン引きしてしまいました。「やばい、この人、既知の外だ」。
とうてい納得はできませんが、この調子では最終的にB専攻は屈服させられるでしょう。それがどんなに暴力的なやり方であっても、「B専攻が同意した」ということになれば、所属の異なる私は口出しできません。
うちの専攻に来ないだけ、まだましだと思って諦めるしかないのかな・・・。
 
ここまで、9月から10月にかけてのできごとです。
こういう裏口人事が進んでいたことは、この時点では受け入れを打診された専攻や、学部長から相談された教員等、一部しか知らない状態でした。
 
11月になり、教員会議で学部長より全教員に報告がなされました。「これは、上からの指示で、断ることのできない人事です」と。
そして、11月末に学部執行部全員(学部長・学部長補佐・各専攻主任)で採用面接をすることが承認されました。
この時点で、まだどこの専攻で受け入れるのかは決まっていなかったものの、学部長としてはB専攻に受け入れてもらうという前提で進めようとしていました。
それに対し、組合に入ったばかりのB専攻の教員が、「それは、もう受け入れ先はB専攻と決まっているように聞こえるのですが」と抗議したところ、学部長は血相を変え、「もちろんそのつもりで言ってるんだ!」と怒鳴りつけました。これまでも、会議で声を荒げることは何度かありましたが、このとき多くの教員が、学部長のハラスメント気質を再認識したことでしょう。

さらにその数日後、A専攻の組合員として中心的な立場にあった教員に対し、学部長は「人事問題を組合に漏らしたのはあなたでしょう。あなたは守秘義務違反でなんらかの罰を受けることになります」と脅しました。
いうまでもなく守秘義務というのは機密を「第三者」に漏洩しないということであり、同じ守秘義務を負う専任教員は(専任教員で構成される組合も)「第二者」ということになります。そんな簡単なこともわからないとは、アタマ大丈夫かこの人・・・
もしかしたら、部署内の機密を、組合という別組織に「漏らした」と言いたかったのかもしれません。しかし、組合は法人との間で守秘義務に関わる申し合わせをしており、学部の会議で採り上げた情報を組合に提供することになんの問題もありません(そうでなければ、そもそも組合は各種労働問題に対応できません)。
学部長ならば当然それを知っているはずですし、仮に知らなかったとしても自己責任です。勝手な思い込みにより、さも組合員が違反行為をしたかのような言いがかりをつけて恫喝し、萎縮させ、組合活動(不正人事への抗議)を阻害することは、ハラスメントであるのみならず、典型的な不当労働行為です。

これが決定打となり、組合が動き出しました。
法人は組合の要求に応じ、この人事についての協議の場を設け、書記長・AB専攻の組合員と、学部長・事務長・法人人事部とが話し合い、改めて「AB専攻は受け入れを拒否する」ということを確認。
そしてまた、教員会議での学部長の発言「断ることのできない人事」というのは学則違反であり(人事の承認には教授会の3分の2以上の賛成が必要)、会議で決を採っていないにもかかわらず「採用候補者」として議事録に載せるというのであれば私文書偽造罪(議事録改竄)で刑事告発すると警告。「学則に従い、この人事も教授会で3分の2以上の賛成がなければ承認されない」=「3分の1以上の反対で否決できる」ということが確認されました。
なお、この時点では私はまだ組合に加入していませんでしたが、組合員から状況を聞いていました。
 
さて、この協議がおこなわれたのが面接の2日前。
AB両専攻から受け入れを拒否され切羽詰まった学部長は、その翌日、即ち面接前日に私の研究室を訪れ、「もうC専攻で受け入れるしかなくなった。頼むから了承してくれないか」と私を説得し始めました。
「え、C専攻で受け入れることはないと言ってたじゃないですか。今さらそんなこと言われても困ります。私は反対ですよ」と言いましたが、「これを断ったら大変なことになり、私が責任を取れる範囲を超えてしまう」「私が学部長でなかったら、こんな汚い人事は絶対に反対するが、学部長という立場上できない」「f さんの言うことは正論です。しかし、この人事には正論は通用しないんだ」等々、1時間ほど説得され、いつ自分も怒鳴られるかという恐怖もあり、首を縦に振るしかありませんでした。
私が折れたことで、C専攻の他教員からはもう反対は出ないだろうと高をくくり、学部長はひと安心したようです。
しかし、私はすぐに同専攻の他教員と連絡を取り、しばらく相談した結果、やはり反対しようということにしました。また、改めて候補者の論文を読み、研究能力の欠如を再確認しました。
 
続く

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2017年12月31日 (日)

ブラック企業大賞

ブラック企業大賞、今年はアリさんマークの引越社でしたね。
過労死ラインを遥かに超過した労働時間や、業務上の損害を社員に弁償させる制度(通称「アリ地獄」)等、労基法を無視した社員の酷使っぷりは有名ですが、それだけでなく、組合員への報復的弾圧という、あまりにも無知で幼稚な行為が不当労働行為と認定されているわけですから、まあ、妥当な結果でしょう。
使用者側の人間が労働者個人に対し、組合員としての行動を非難したり抑圧したりするのは典型的な不当労働行為なので、まともな企業であれば管理職の人間にそのあたりの教育はしっかりやっているはずです。団体交渉以外の場で、管理職が個人に対し組合絡みの話題を振るなんて、労組法を理解していれば普通は怖くてできないはずです。

しかし、アリさんに限らず、あるいは歴代の受賞企業、ノミネート企業に限らず、多くの企業で似たようなことがなされているであろうことは容易に推測できます。
ここにノミネートされた企業だけがきわめて悪質ということでなく、やはり報道されて有名になったということが大きいでしょうね。
大企業でも、使用者側が労基法や労組法に無知であるということがよくあるのですから、中小企業ではなおさらでしょう。これは労働者側についても言えることで、自分が違法な労働を強いられていることを自覚していないというケースも多いと思われます。
また、たかの友梨ビューティクリニックの社長が組合員に圧力をかける際に言ったという「労基法どおりにやったら、うち潰れるよ。いいのそれでも?」という言い回しは、おそらく多くの経営者にとっての常套句でしょう。呆れることに、かつて本学でも幹部クラスの人間が似たようなことを公の場で口走りました。本音としてはそうなのかもしれませんが、使用者側の人間が絶対に言ってはいけないこの言葉を労働者に向けて発するというのは、あまりにも無責任でしょう。
エイベックスの社長がブログで、「好きで仕事をしているんだから、それを抑えようとする労基法は時代に合わない」などと放言したというのも呆れた話ですが、それ、労働者側が言うならまだしも、使用者側が言ったらおしまいですよ。社長としての自覚ゼロですね。

高野や松浦が無知で無責任であることは間違いないのですが、しかし、こういう認識を持つ人は、使用者側だけでなく、労働者側にも多いでしょうね。
要するに、勤勉を美徳と考える思想です。
何を隠そう私もそう考えていました。というか、いまだにその思想を完全に払拭することができずにいます。

例えば教員だと、「生徒(学生)のため」という魔法の言葉で、無限の労力を費やすことを強いられ、あるいは自ら進んでそういうことをする人が少なくありません。それが“よい先生”であるというイメージが作られてきて、そのイメージを求めて教員になったという人もいるでしょう。その種の熱血教師像は、個人の経験や見聞、あるいはそれを理想化するような種々の言説やストーリーにより、広く社会に浸透しており、教員とはかくあるべしという共同幻想が教員を縛ります。教員は、生徒(学生)のため滅私奉公で働くのが当たり前という認識を、周囲だけでなく教員自身も持っているため、この呪縛から抜け出すのは容易なことではありません。
例えば、中高の部活の顧問。こんな、どう考えても明白な労基法違反の業務が、これまでずっと問題にならず、当然のこととして黙認されてきたことからも、この呪縛の強さがうかがえるでしょう。
確かに私だって、かつて『スクール・ウォーズ』を観て涙した人間です。しかし、あれを労働という観点から考えたら、とんでもないことですよ。教員としての通常業務(こちらはほとんど描かれていませんでしたが)に加え、部活の指導に自分の生活のすべてをつぎ込むわけですからね。無報酬で。
あれを観て感動するのは自由ですし、滝沢賢治が残業代を請求する姿は私もあまり見たくありませんが、だからといって、教師たる者、あそこまでやるのが当然だと保護者が思い込んだら大変です。ものすごい要求をしてくるのではないかと恐れます。
ところが現実はさらに過酷で、保護者どころか、教員自身もこういう熱血教師像をどこかで理想視していたりするので、部活の顧問をしろと言われても、「この業務は任意ですよね?」とか「正当な残業代は支給されるのでしょうか?」とかいう、労働者として当たり前の要求すらしようとしません。また、疑問に思ったとしても、簡単には言い出せないでしょう。
一昨年、この理不尽な業務を疑問に思っていた教員たちがついに声を上げ、部活問題対策プロジェクトが立ち上がりました。しかし、いまだに偏見が多く、教員以外の立場から無責任に「教師が部活の顧問を拒否するなんて、とんでもない」とかいう意見もあり、また、現場でも多くの教員に顧問をさせなければ立ちゆかない状況なので、改善されるまでにはまだまだ時間はかかるでしょう。それでも、問題が可視化されただけでも進歩です。

部活に限らず、教員は生徒のすべてに責任を持ち、そのためには全人格労働も厭わないという考え方。中高の教員とは本来まったく異なる業種である大学教員にも、この種の理想の教師像が求められ、教員自身もそう思っている節があります。
確かに、卒論その他、学生指導は時間決めでは対応できない部分があります。そこを「時間外労働はしません」とスッパリ切ることは、あまり現実的ではありません(そういう人もいますけどね)。
また、研究については、どれだけ多くの時間を投入しても「これでよい」という限度はありません。
ただ、その延長線上で、教育・研究以外の業務でも全人格労働が当たり前という感覚になってしまうと厄介です。多くの大学は裁量労働制なので(うちは就業規則上は違いますが、事実上は)、それを悪用して教員に無限の雑務を押しつけるところも少なくないでしょう。教員側も、それを疑問に思うどころか、やるのが当たり前と思い込んでいたりすると、大学側にしてみれば、そういう自ら進んで奴隷になってくれる人たちの存在はありがたいことでしょう。そのうえ、「これは教員の仕事じゃないのでは?」という声を上げる人がいたとしても、同調圧力で自動的に抑えこんでくれるのですからね。
確かに、雑務と呼ばれるような仕事でも、自分の大学のためと考え、あるいは職人的なこだわりで、時間や労力を度外視してでもやるという人はいるでしょう。立派なことです。
しかし、それを誰かに強要することはできません。違法行為です。

どんな業種であれ、働いたら働いた分だけ成果が上がり、それが組織のため、顧客のため、社会のためになったりする、という面はあるかもしれません。そして、それにかける情熱は尊いものです。
しかし、それはあくまで適法の範囲内でなければいけないわけですよ。
頑張ることを美徳と見るのはいいでしょう。自ら進んで無償労働を引き受ける姿は、なぜか我々の目に美しく映ってしまいます。
でも、無償労働を強要した時点で、違法ですよ。こんな当たり前のことがなかなか受け入れられないのは、世界的にも労働時間が長い(わりには生産性が低い)日本人の精神風土にもかかわるのでしょう。

ブラック企業は、なにも特別な組織ではありません。
勤勉をよしとし、成果よりも努力を評価するという思想を我々が持っている限り、多くの組織がそうなる可能性を孕んでいます。
頑張る自分に酔うことはけっこうですが、それを他人に求めた時点で迷惑だということを自覚し、自己満足にとどめておくのがよいでしょう。難しいとは思いますが、まずはこれを打破してゆくことが重要だと思われます。

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2017年12月18日 (月)

合同例会でのできごと

最近は研究のことをほとんど書かず、ずいぶんこのブログも方向性が変わってきましたが、一応匿名でやっていますので、固有名を挙げたうえでの研究ネタは書きにくいんですよね。
そういうのを書くのであれば、これからは白ブログのほうと棲み分ける、というのも一案です。

とはいいつつも、やはり固有名を挙げずに書きたい研究ネタもありますので、こちらはこちらでやっていきたいと思います。

さて、先日、某複数学会の合同例会がありました。
こういう形での合同企画は初の試みで、テーマも興味深いものではありましたが、しかし、まさかあれほどの盛況は予想できませんでした。
シンポのパネリストの報告、ひとつひとつは非常にマニアックなもので、十分に理解できていた人は少なかったと思います。しかし、全体のテーマは研究者の関心をそれなりに引きつけるものであり、議論が尽くされたとはいいがたいものの、当該テーマにかかわる沃野の存在は改めて認識されたのではないかと思います(それゆえ敬遠してしまうという人も含め)。

個別の報告や討議について、いろいろ思うところはありますが、詳細を書くのは控えます。
ここでは、質問をしたある院生が印象に残ったので、そのことを少し。

修士の頃からメジャー誌に優れた論文を発表していたので、私も去年くらいから注目していました。現在は博士に在籍し、学振にも採択されています。
その彼が質問に立ち、そのなかで非常に大きな展望を披瀝しました。あれだけ大入りの学会で、院生が質問をするだけでもたいしたものですが、単なる質問にとどまらず、大言壮語・・・といったら失礼ですが、非常に迫力のある発言だったと思います。
また、一見チャラチャラした外見でありながら(失礼)、あのような質の高い研究をし、骨太の質問ができるというのも、いい感じです。

なんとなく、自分の若い頃を思い出しました。
いや、院生時代の私なんか、彼の足下にも及びませんよ。
でも、私は私で未熟なりに、色々なところで空気を読まずに色々な主張をしていたものです。
そんな自分が果たし得なかったことを、私よりも圧倒的な能力と度胸でやってのける若者が現れたと、そんな印象です。

そんなことを思っていたら、懇親会の時、ある人から、「彼は、昔の f さんに似てますね」と言われ、同意する人も何人かいました。
んー、やはりキャラというか、方向性はそういうふうに見えるのでしょうかね。
しかし、上記の通り、私なんかよりもよほど優秀なので、似ているかどうかということとは無関係に、注目すべき人物であるといえるでしょう。
今後の活躍が楽しみです。

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2017年12月15日 (金)

管理職

10月から専攻主任になりました。
専攻内で順番(教授になった順)に回ってくるので、避けられない業務です。

なお、かつては組合員が管理職になった場合、団体交渉に出られませんでした。
しかし、管理職といっても、「使用者の利益を代表する者」でなければ組合員の資格を持つわけで、団交への出席拒否は不当労働行為に当たります。それを労働委員会に救済申し立てをし、和解した結果、出られるようになりました。よって、主任になってからも今までどおり、団交には出ています。

ところで、本学では、他学部は学科長の下に主任を置いていますが、うちの学部は学科長を置かず、主任が両方の仕事をしています。
ということは、学科長と主任、両方の役職手当てが支給されるはずです。複数の役職を兼務する場合、単純にそれぞれが加算されるのではなく、計算式があるのですが、ともあれ兼務している分の役職手当てが支払われるのが当然です。
ところが、明細を見てみたら、主任の手当てしか支給されていないんですよね。
確かに、名称としては「主任」なので、他学部の主任と手当てを同額に設定しているほうが妥当なのかもしれません。学部によって主任の業務内容にある程度の差異はあるでしょうから、主任は主任で一律同額の手当を支給する、という理屈なのでしょう。
しかし、法人は種々の局面で、公式見解として「○○学部の主任は、他学部の学科長に相当する」と説明しています。とすれば、学科長+主任でなくとも、少なくとも学科長手当てを支給するべきではないでしょうか。
こういうことを言うと「がめついヤツだ」と思われるかもしれませんが、そういうことではなく、自分の労働への正当な対価が支払われるのは当然のことです。
多くの教員は、法人を信じきっているのか、育ちがよいのか、それとも完全服従のイエスマンなのか知りませんが、こういうことを気にしないんですよね。不思議でなりません。
しかし、学科長と主任の手当ての額は、無視できないくらいの差があります。同じ仕事をして、これだけの差があるというのは尋常ではありません。まあ、気にしないという人は放っておいて、組合員だけでも正当な手当てを支給するよう要求してみましょう。

ただ、法人は組合員と非組合員とで待遇に差を付けることを嫌がるんですよね。そういうことをすれば、組合員が増えるのが目に見えているから。
しかし、例えばボーナスや入試手当て等、労働協約により決定する部分は、差が付いて当たり前なんです。そこで差を付けないのは、法人が組合を利することのないよう、かなり無理をしているわけです。
とはいえ、すべてについてそんなことはできませんから、当然、組合員のみが有利になることは多々あります。法的措置を経て組合員だけに支払うことになった某手当てについては、「非組合員に口外しないこと」という条件を付けて支払いを認めました。そこまでするか、と思いましたが、少数組合が徐々に力を付けてきていることへの危惧だと受け止めています。
上記の役職手当ても含め、今後、組合員だけでも正当な対価を得られる環境を拡大していきたいと思います。

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2017年8月22日 (火)

ストライキ

労働条件改善のために労組で活動することにより、目に見えて雑務が少なくなってきています。
業務自体がなくなったものもあれば、組合員に限って免除されたものもあります。
後者については、相対的に非組合員の負担が増えることになりますが、組合は慈善団体などではなく、組合員の利益のために活動しているので、まあ、やむを得ないでしょうね。
ただし、こうした活動が将来的には教職員全体の労働条件改善に結び付くので、長い目で見れば非組合員にもメリットはあるのですが、目先のことしか見ていない人は、「組合のせいで仕事が増えた」などと的はずれな逆ギレをします。目先の業務負担も減らしたければ組合に加入すれば済む話なのに、そういう選択もせずに愚痴をこぼしているだけなんですよね。不思議な人たちです。

国公立大学や、あるいは私大でも教員に雑務があまり降ってこないところだと、あまり問題にならないのかもしれませんが、本学のように教員を研究者ではなく単なるコマとして扱っているようなブラック大学では、頼れるものは労組しかありません。
「労働条件の改善のために組合活動に時間を費やすのは本末転倒じゃないの?」と、学外者から言われたことがありますが、そういう人たちはブラック私大の現状をわかっていないのでしょう。むしろ真逆であって、組合活動をしなければ、その何倍もの雑務負担によって研究・教育の時間がどんどん奪われるという状況など、想像できないのかもしれません。
例えば国立大学も今はいろいろ大変だとは仄聞しますが、こういうことひとつをとっても、まだまだ国立は恵まれているんじゃないかと思えてきます。

さて、うちの労組は、去年、スト権を確立しました。約半世紀ぶりということになります。
「労組はスト権を有する」ということは、中学校の社会科の知識ですから、誰でも知っていることでしょう。しかし、実際にストを決行するというのは、そんなに簡単なことではありません。
「確立する」という言い方からもわかるように、いつでも自由にできるわけではなく、その確立には(内部規約にもよりますが)全組合員投票が必要となります。
顧問弁護士からは、確立は難しいのではないかと言われていましたが、総会で発議し承認、そして全組合員投票でも大部分が賛成し、無事に確立しました。
この春、JR東日本労組がスト権を確立した際、「伝家の宝刀」と報道したメディアもありましたが、まさにそのとおりです。
私が中高生くらいの頃は、旧国鉄に限らず、どこの会社がストをするとかしたとかいうニュースがよくありましたが、最近はストをする労組は減っているのか、あまりニュースになりません。
特に、学校関係でのストなどは非常に少ないと思われ、ほとんど耳にしません。現在、大学の労組でスト権を確立しているところはどのくらいあるのでしょうかね。

まあ、ストといっても某業務に限定した部分ストであるうえ、少数組合なので、ほとんど業務に支障はありませんでした。事前通告し、法人が代替要員を確保する時間は十分にありましたから。
こちらも業務を妨害する気などはさらさらなく、あくまで交渉のためのカードです。ただ、上記の如く、代替要員の確保が容易なので、法人にとってはたいした脅威にはならないんじゃないかという懸念はありました。
ところが、予想以上に法人は慌て、総会にスパイを送り込んでくるわ、団交では泣き言を言うわで、なかなか愉快でしたね。
そのうえ、「検討します」「善処します」と言いつつまったく放置されていたいくつかの交渉事項が急に進展したので、効果覿面です。
法人が恐れたのは、業務に支障が出ることよりも、「○○大学でスト」とメディアに採り上げられることだったのではないかと思われます。とはいえ、本学のメディア統制力は相当なもので、まずい事案はたいてい揉み消されます。事実、昨冬に実行したストはまったくニュースになりませんでした。
まあ、ごく少人数だったし、業務への支障もなかったので、たいしたニュースバリューもなかったでしょうが。

半世紀前のストは、某学部の昇任人事に法人が不当介入したことに端を発し、その学部の少なからぬ教員が全面ストをしたことから休校状態に。そのうえ、労組と対立していた学部長の別件不祥事も明るみに出て、全国紙を賑わせたそうですが、現在、ネット上ではその情報はほとんど見付けられません。これこそ本学の揉み消し部署の力でしょう。
もっとも、当時の新聞記事を探せばすぐ見付かりますので、揉み消すといっても限界がありますけどね。

今年は、改めて組合員投票をすることで、スト権の範囲を拡大しました。
学生教育には支障が出ないようにしていますが、これまで「通常業務に含まれる」という魔法の言葉で残業代もなく無制限に押し付けられていた種々の業務を対象としているので、相当に楽になりました。
しかし、労組がスト権を有しているという中学校レベルの常識を知らない教員が少なくないのも確かで、「はあ? スト? なんだそりゃ。ふざけてないで仕事しろ」などと放言する御仁もいるのが現実です。そういう発言は明白な不当労働行為ですが、組合員のなかにも、自分だけ仕事をしないということに罪悪感を持ち、なかなかスト権を行使できないという事例もあります。
こういう状況を放置・黙認すること自体、組合活動の萎縮を助長することに繋がりますので、本来、事務職員や管理職教員が、最初から組合員にスト対象の業務を振らないようにしなければならないはずです。
実際、「空気を読め」という同調圧力があるのは確かですし、スト権への無知・無理解からストを非難する人もいて、そういう連中の顔色をうかがい、「人間関係を壊したくないから」という、法的にはなんの意味もない理由で、なかなかストに踏み切れない人もいます。
少数組合は、やはりこういうときに不利ですよね。なので、今後もそういう状況が続くようであれば、こちらも強行策を採ることも考えなければなりません。

まあ、私はそういう人たちを、法律を知らない単なる無知だとしか思っていないので、空気を読まず平気でスト権を行使しますが。
研究しない自分を正当化するには、膨大な雑務を引き受けるている自分に酔うのがもっとも手っ取り早いということをこの数年で理解しました。研究と教育のために大学教員になった私は、そういう「奴隷の鎖自慢」などに付き合っている暇はありません。
研究・教育に十分な時間と労力を投入するためにこそ、組合活動は不可欠だと考えます。

ついでにいうと、本学では、いい加減な前歴換算により初任給の号俸を不当に低く設定しています。なので、世間に公表しているモデル賃金はまあまあそれなりですが、実際にその額をもらっている教員は少ないと思います。
組合では、組合員の分だけ前歴換算の再計算を要求し、その結果、多くの組合員が定期昇給分を上回る昇給をしています。私も、おかげで生涯賃金にして数千万単位で利益を得ました。
これだけのメリットがあるのに、労組を否定的に捉える人たちの気が知れません。

もっとも、健全な職場であれば労組に頼る必要もないでしょう。しかし、運悪くブラックな職場に就職してしまった人は、頼れるものはほかにありません。
職場に労組がない場合は、地域や業種別の組合に加入するなり、数人の同志を集めて立ち上げるなりしましょう。
あるいは、労組はあるけど力がないとか、御用組合だという場合は、自ら改革するくらいの気持ちがなければ、いつまで経っても変わりません。
「同じ立場の人がこれだけ大勢いるのだから、誰かがやってくれるだろう。わざわざ自分が矢面に立つ必要はない」というのは、誰もが持つ考え方です。それゆえ、誰もやってくれないという可能性も高いのです。
いつか誰かがやってくれるだろうとあてもない夢想をして自ら動こうとしない人は、一生ブラック企業に搾取され続けるしかありません。 まあ、それはそれで余計なことを考えずに済むので、ある意味で幸せなのかも知れませんが。

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2017年7月22日 (土)

ブラック大学平常運転

某KK学園もそうですが、同族経営の学校法人というのは、腐っているところが多いのでしょうかね。
しかし、文春が入手したという教職員へのアンケートを見ると、多くの人が獣医学部新設に反対しているんですよね。法人の体質はともかく、中の教職員にはまともな人が多いという印象です。
だって、うちの大学で同じ状況だったらと考えると、こんなこと絶対ありえないですよ。
やり方が汚いとか、まともに運営できるのかとか関係なく、大学が決めたことならとにかく賛成。反対するなんてとんでもない、というイエスマンどもが山ほどいます。そういう意味では、あの学園がうらやましいですね。もっとも、移りたいとは思いませんが・・・

うちの大学、この4月に創業家のボンボンが総務部長となり、おそらくそのことと連動しているのでしょうが、労組が過半数組合でないのをいいことに、過半数代表者を取りにきました。
今まで過半数代表者を立てることもなくすべて組合に任せていたし、3月末の事務折衝でも一言もそんな話は出ていなかったのに、4月になってすぐに告示。しかも、立候補するには短期間に30人の推薦を集めなければならないという。どう考えても誰も立候補できない状況にしたうえで、法人の意のままになる傀儡を擁立しようとしているのは目に見えています。
それでも、なんとか組合からも候補を立てましたが、法人は非組合員である労働法の専門家を擁立し、管理職の教職員を動員した大規模な組織票の前にはなすすべもなく。
これで、就業規則や労使協定は法人の思うがままとなってしまいます。

それにしても、あの労働法の専門家、これまでは「労使問題に関わりたくない」といって組合からも距離を取っていたくせに、労働者を抑圧するために法人の傀儡となるとは、研究者のプライドはどこに行った。よほどおいしい“おまんじゅう”でももらったのでしょう。

しかし、こちらも指をくわえて眺めているわけにはいきません。詳しくは書けませんが、各種法的措置をとって対抗しています。
すでに、この問題を含め、労基署から是正勧告と行政指導は出ているのですが、まだまだこんなものでは許しません。

・・・ところで、こういう労働上の深刻な問題が起こっていることを知ってか知らずか、我が学部長は脳天気にも、そういう法人の違法性を助長するようなことを言い出しました。
学部創設○十周年記念事業をやりましょうとかノリノリで提案してきたんですが、それを遂行するためにはどのくらいの業務が発生し、どのくらいの教員に業務が降りかかるのか、わかっているのでしょうか。まさか教員をただ働きさせるつもりじゃないでしょうね?
それで、会議の際に確認してみました。「記念事業に関わる業務は、所定業務ですか? それとも追加業務ですか?」と。
最初、質問の意図が理解できなかったみたいで「は?」という顔をしているので、「要するに、追加業務であれば時間外労働ということになりますよね」と言ったら、ようやく理解できたみたいです。
しかし、「ペイメントがないとやれないというのは、○十周年記念の趣旨にそぐわない」「有志の方のみでやっていきたい」とか、トンデモないことを言い出す始末。あのね、「文化祭の出し物をみんなで力を合わせて頑張ろう!」というものではなく、紛れもなく業務なんですよ。対価をともなうのは当然でしょう。これから予算を申請するのなら、その分も含めて申請するべきです。
その質問に対しては、「これは上から言われた業務ではなく、学部から提案しているものなので、人件費はハードルが高いと思います。そのことによって事業の規模を縮小せざるを得なくなりかねないので、最初からそういう申請はしません」と。
要するに、「私の思っているような派手なイベントにするためには、みなさんに無償労働をしてもらうしかありません」ということですか。呆れてものが言えません。

大学教員は裁量労働制なので、残業という概念はなく、労働時間は自分で管理するものである――という前提に立っているのだと思いますが、これには二重の誤解があります。
そもそも、うちの大学は就業規則の上では裁量労働制ではないんですよね。しかし、裁量労働制であるかのように運用しているのは確かで、各種交渉で法人もそのように説明しています。要するに、現時点ですでに違法状態にあります。
そのうえ、たとえ裁量労働制であっても、残業代を支払わなくてよいということにはなりません。裁量労働制の場合、所定業務をみなし労働時間とし、週40時間を上回っても下回っても40時間働いたとみなすわけですが、例えばみなし労働時間が最初から40時間を超えて設定されている場合は、当然残業代の対象となります。また、休日や深夜、あるいは所定業務外の労働も、もちろん残業です。

何をもって所定業務とするかというのは、かなり恣意的な部分もあり、「学部長が必要と認めた業務」という言い方で、なんでも所定業務扱いされてしまう危険性があります。
しかし、○十周年記念事業という、それこそ10年に一度しかないような業務は、どう考えてもイレギュラーな業務であるうえ、会議で「所定業務ではありませんよね」と確認し、それを認めさせているので、言い逃れはできません。

ただ、その会議の議事録に、私とのやりとりで確認したこと(所定外業務であり、参加は任意であること)が載っていませんでした。
そこで議事録修正意見を出し、この文言を載せるように要求しているのですが、いまだに議事録が出てきません。よほど文章化するのが都合が悪いのでしょうが、このまま誤魔化し続けるようなら、こちらにも考えがあります。議事録改竄は私文書偽造ですからね。お気を付けください。

しかし、前学部長は法人の顔色ばかりをうかがい、学部教員の意見に耳を傾けない「上を向いて歩く」最低の人間で、それに比べたら現学部長はずいぶんましだと思っていたんですけどね。買いかぶっていました・・・。お嬢様のおままごと感覚で学部運営をされたら、とても迷惑です。
会議の場で、「これは明らかに無償労働であり、であるならば有志だけでやったとしても違法です。残業代ゼロ法案が取り沙汰されている現在、それを先取りするかのようなことを大学が率先してやるんですか?」という質問をぶつけようかと思っていましたが、まだ時期尚早であると考え、黙っていました。もっとしっかり外堀を埋め、逃げ道がなくなってから吊し上げます。

その他、高校訪問や入試関連業務等、所定業務か追加業務か曖昧なまま運用しているものがまだまだありますので、そのあたりを明確化すべく、割り振られた業務を「違法性がないことが判明するまではできません」と断り、かつ、他の教員にも代理で引き受けないようお願いしてあります。
そのことで、「空気を読めない迷惑なヤツだ」と反感を持つ教員もいるようですが、しかしこれにより、今まで所定業務として手当てなしでやっていた仕事に手当てが付くようになったら、そういう人たちも漏れなくその恩恵に与ることができるわけです。
私は、小銭がほしくてこういうことをやっているわけでなく、なんでもかんでも所定業務扱いすることで、無制限に教員に雑務を押し付けることの可能な環境が構築されている現状を壊すためにやっています。

また、こうして雑務を断ることが、研究の進捗状況にも反映するのだということを、身をもって示すことも重要ですね。
今年上半期は、原稿5本ほど入稿しました。自慢できるような仕事量ではありませんが、私にしてみれば、まあまあのペースです。
大学に身も心も捧げるイエスマンたちは、どのくらい書いているのかな?

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2017年4月17日 (月)

教員公募

本学のほとんどすべての学部や研究所の教員人事は、公募によっておこなわれます。
うちの学部について言えば、設立から10数年は非公募だったそうですが、ここ20年近くはずっと公募で決めています。
選考方法は学科・専攻によって小異はありますが、うちの専攻では全教員(退職予定者を除く)が書類選考にも面接にも関わります。
それまで私が応募者として経験した公募の面接では、面接者は多くて5~6人でしたが、本学の面接では、会場に行くと10人ほどの人がズラッと並んでいたので面食らったものです。

ところで私が採用されたのは、専攻の退職者ラッシュによる後任補充5ヶ年計画の1年目でした。つまり、その後も4年公募が続くことになります。着任の年から今度は採用する側に回り、4年連続で選考に関わることになったわけです。
ついこの間までは色々な大学に応募し、審査されていたのに、そんな自分がいきなり選ぶ側になっていいのだろうか・・・などと初々しいことを考えていたのは一瞬で、大量の応募書類に目を通し、この先何十年と一緒に働くことになる同僚を選ぶ、きわめて重要な作業であることを認識すると、そんな呑気なことは言っていられなくなります。

書類だけで、その人のすべてがわかるわけないのですが、それでも研究者・教育者としての側面のみならず、ありとあらゆることを知りたいと思いますので、例えば業績としてはカウントしないような雑文とか、経歴としては重視しないような種々の経験とか、そしてもちろん着任後の抱負や研究計画、授業案なども、とても重要な参考資料となります。
なかには、雑文などは業績でないとばかりに、業績一覧に論文(と本)だけしか載せない人もいます。こちらでも調べるので、本当に雑文的なものがないという場合もありますが、あえて割愛している人も時々います。でも、そういうことはしないほうがよいですよ。
もちろん、雑文とか研究会の世話役とかは、研究業績や経歴として一切カウントしないのですが、その人の活動の多様性を見ることができるので、それはそれで重要な情報になります。特に専任歴のない人は、種々の学内業務をこなすスキルの有無を、こういうところからも推測したりします。
ただ、少ない業績をカバーするため枯れ木も山の賑わいとばかりに、雑文を論文欄に書いてはいけません。「その他の業績」あるいは「MISC」として、きっちり論文と分けて書いてください。
それから、書類選考である程度ふるいにかけて残った人については、ネット上の情報は必ず調べます。とんでもない人物が同僚になったら困りますからね。もちろん、ネット上の情報がすべて真実であるとは思いませんし、また、匿名での発言まであげつらうのは気がひけますが、あえて危険を冒してまでマイナス情報のある人を採る理由はありません(それでも採りたいと思える人も、ごく稀にいますが)。

推薦書等、こちらが求めていない書類を同封してくる人がいます。
これについては、別にどうでもいいと思っています。入っていたら一応読みますし、その人のことを知るための情報になるのも確かですが、しかしそれが決め手になることはありませんね。逆に、落とすための理由になってしまうことはあるかもしれません。

ところで、私は「D2病」と呼んでいますが、業績至上主義者というのがけっこういます。
初めて論文の査読にパスし、「これで自分もいっぱしの研究者だ」と思う時期は誰にでもあるでしょうが、そういう考えはD2あたりで卒業しましょう。優れた研究業績さえあれば「研究者」にはなれるかもしれませんが、「大学教員」に求められるのは研究能力だけではありません(もちろん研究能力がないのは論外だとしても)。そんなこと、学部4年で就活していたかつての同期が、学業成績だけで就職が決まったわけではない、ということから簡単に類推できそうなものですが、それができない人がたくさんいます。
まだ専任職に就いていない人のうち、とびきり優秀な研究者を10人思い浮かべてください。みんな、「なんでこんなに優秀なのに、専任になれないんだろう?」という人ばかりでしょう。でも、そのなかに「同僚として30年一緒に働いてもよい」と思える人が何人いますか? 要するに、そういうことです。

あと、「私の苦境をご理解ください」という人。
いや、さすがに応募書類にそんなこと書く人はいないと思いますが、ネット上で、あるいは研究者の集まり等の場で、そういう発言をする人は少なからずいます。
もちろん気持ちはわかりますよ。痛いほど。私もそういう時期がありましたから。
でも、そのことと採用とは、当たり前ですがまったく関係ありません。
確かに、優秀だけど不遇な人が身近にいたら、なんとかしてあげたいと思うし、実際にそういう人に非常勤とか任期付きポストとかを世話してあげるという話もよく聞きます。
ポストがなくて苦労している優秀な研究者は山ほどいるし、一人ひとりに色々な事情があるでしょう。みなさん大変な思いをしているし、同情せずにはいられません。
しかし、「同僚として30年一緒に働く人」を選ぶときに、そんな個人的な事情を配慮すると思いますか? 大学は、その大学にとって必要な人材を求めているわけで、ある不遇な研究者のために人事をしているわけではありません。普通に考えれば、わかりそうなものです。
でも、長く苦労していると、本当にそういうことが考えられなくなり、「自分はこんなに苦労している。きっと事情を理解してくれる大学があるはずだ」という思いに支配されてしまうのです。「きっと神様は見てくれているはず」というスピリチュアル系の発想に近いともいえますが、案外、そういう考えに囚われてしまう人は多いと思います。私もそうだったかもしれません。
でもね、その考えを対象化できないと、そういう意識が知らず知らずのうちに、書類や面接で出てしまいます。「私を採用してください」ではなく、「私はこの大学で、こういうことができますよ」でなければ、採りたいとは思いません。

そんなこんなで、色々な人の書類を見、色々な人と面接で話しました。本当に真剣勝負です。
多くの候補者のなかから一人を選び、あとはすべて不採用とするのですから、やり直しはできません。「こんな人と一緒に働きたくない」という人を見きわめられずに採ってしまったら、もうおしまいです。ずっとイヤな思いをしながら働かなくてはなりませんからね。
なので、安易に結論を出さず、適任者なしとして公募を流したこともあります。

このように、全教員で本当に真剣に選考しているわけですが、ある年の公募に際し、ある筋から「あの公募は誰々を採るためのデキだ」という根も葉もない噂が聞こえてきました。非常に腹が立ちます。
私が把握したのは、出所の異なる2種類の噂でしたが、ひとつは私の母校の教員(『20世紀少年』に出てくる2人のマフィア、王暁鋒とチャイポンを足して2で割ったようなおっさん)が発信源だというので、呆れて言葉を失いました。
なんでうちの大学と縁もゆかりもないそのおっさんが、したり顔して「あの公募はデキだ」などといい加減なことを言えるのか理解に苦しみますが、その戯言を信じる人までいるというのですから、アホばかりで呆れますね。
もっともあの大学のあの学部は、ちょっと前まで教員はみなコネ採用だったし、今は公募にしたとはいえ、ほとんど出身者ばかりを採用しているので、そういう発想になるのもやむを得ないのかもしれません。
いや、コネだろうと一本釣りだろうと、優秀かつ有用な人材を採れればいいと思うので、あの大学の採用方式にケチをつける気はありませんが、自分の大学がそうだからといって、よそも同じに違いないと考えるのは、頭のおかしい人です。法人の顧問弁護士に頼み、名誉毀損で訴えてもよかったんじゃないかな。

・・・とまあ、くだらぬ噂はあったものの、着任してからの4年間、真剣に人事選考に携わり、「健全な人事をする、風通しのよい職場に来たものだ」と満足していました。
ところが、4年目の選考が終わった頃、それまで私が信じていた本学のイメージを根底から覆すような事件が起こりました。

続く

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