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2016年3月

2016年3月13日 (日)

奴隷根性

いやはや、ブラック大学である前の職場から逃げてきて、ようやく安息の地にたどり着いたと思ったら、こっちはさらに上を行くブラック大学だったとはね・・・

ところで、プロフィール欄に「本ブログの記事の40パーセントはフィクションです」と書いていますが、新設カテゴリー「独裁大学での身の処し方」に書くことに限っては、すべてフィクションとしてお読みください。

さて、今の職場に来て5年が経とうとしています。
同僚にも恵まれ、当初は本当によい職場に来ることができたと思っていました。
確かに雑務は多いけど、それは専任教員ならば当たり前のことで、むしろ校務に忙殺されることこそ専任教員である、などというわけのわからない満足感に浸り、気付いてみれば依頼された仕事はひとつも断らず、そのうえ、段取りの悪い人に仕事を任せるくらいならば自分でやったるという性分が祟って、雑務まみれになっていました。
しかし、ここ数年、本学は知名度をどんどん上げており、自分もそういうことに貢献しているのだという思いで、雑務の多さを喜んですらいるような状態でした。はっきり言って、奴隷の鎖自慢というやつですね。

しかし、一昨秋以降、そういう考えを改めました。
転機となったのは、まさに“大学の闇”というにふさわしい事態に接し、それをめぐって法人に反発する人/迎合する人/無関心な人というスタンスがはっきりと見て取れたことです。

その、“闇”の具体的な内容については、またいずれ書きますが、とりあえず今日は、それ以降のことをいくつか。

例えば、学校教育法改正(学長権限の強化)にともない、多くの大学が昨春から学則を改正しました。しかし、私大の多くは、教授会権限を不当に縮小せぬよう工夫しています。
ところが、本学ではこれに便乗し、もともと小さかった教授会権限をさらに縮小するという改悪を、しかも教授会の審議を経ずに強行するという暴挙に出ました。
このやり方が、文科省の指導違反の可能性があるので、教職員組合は文科省に陳情書を出し、また団体交渉でも改悪の撤回を求めています。

特に問題となるのが、「教授会での決定」が「学長への意見」と変更された点です。
法人側は、「学教法改正に合わせて文言を修正しただけで、実質的にはなにも変わっていない」と説明しました。要するに、「労働条件に関わる変更ではないので、教授会での審議は必要ない」と言いたいわけですね。

そこで私は、団交の席上、法人側が突っ込まれたくないであろう一昨秋の某“闇”案件の話題をあえて出しました。

「なるほど、労働条件に関わる変更ではないとおっしゃる。では、例の件についてはどうでしょう? あの受け入れをめぐってうちの学部は、色々な学科であれこれ調整したり、時間をかけて議論したりして、それでも折り合いが付かなかったから受け入れを拒否したわけですよ。でも、新学則のもとでああいうことがあったら、そうはいかないと思うんですよね。あれだけ大変な思いで否決したことでも、それが(理事会の傀儡である)学長への“意見”ということになったら、ひっくり返されてしまうんですよ。学部ではどう頑張っても調整できないから否決したのに、それを差し戻されたら、それでも労働条件に関わらないって言えますか?」と。

これに対し、法人側は予想以上に慌て、とりあえず保留となりました。
なるほど、やっぱりこの件で騒がれたくないんだな。よしよし、これからも利用させてもらいましょう。

しかし、うちの教員の大半は、法人の言いなりになるイエスマンなので、私が団交でこんなやりとりしているのを知ったら泡を食って卒倒するでしょうね。

また、こんなこともありました。
法人が進めたいと思っている別の某案件につき、ある学部では、教授会で審議したら反対意見が出て否決されることを恐れた学部長が、「これは上で決まったことですので」と言って“報告”で済ませてしまいました。審議事項を、学部長の一存で報告事項に変えたわけです。そこまでして法人にシッポを振りたいという犬の気持ちは私にはまったく理解できません。
この学部の組合員がこのことを問題にしたので、うちの学部ではさすがに報告で済ませるわけにはいかず、かなり時間をかけて審議しました。
しかし、その際に出た意見は、「この大学では上で決まったことに反対しても無駄」「反対したらうちの学部が睨まれてしまう」「もっと現実主義で行きましょう」・・・という救いようのないものが少なくありませんでした。
現実主義とは笑わせてくれる。そういうのは現実主義ではなく「奴隷根性」というんですよ。
いったいこの人たちは、なにをそんなに恐れているんでしょうか? 理事会? それとも、うちの大学と密接な関係にあるあの政治家?
いずれにしても、教育や研究よりも、そんなことのほうが大事だという腰抜けどもを、私は大学教員と認めることはできない。学生と、そして学問を、そんなヤツらの手に委ねるわけにはいきません。

なお、後日、団交でこのことを採り上げた際、私は法人側出席者に向かってこう言いました。

「この件をうちの学部で審議した際、『上で決まったことには逆らえない』とか『反対しても無駄』とかいう意見が出たんですよ。多くの教員が、そういう考えなんです。いいんですか、教員と法人がこんな関係で? うちはそういう独裁大学なんですか? どうなんですか?」と。

まあ、独裁者かと問われ、それを爽やかに肯定する独裁者もなかなかいないでしょうから、「そんなことありません、独裁ではありません」と言ってましたけどね。
しかし、団交の席上で「独裁ではない」と言い、法人と教員は支配・被支配の関係ではないと明言したことは大きいですね。言質を取りました。

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