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2017年4月17日 (月)

教員公募

本学のほとんどすべての学部や研究所の教員人事は、公募によっておこなわれます。
うちの学部について言えば、設立から10数年は非公募だったそうですが、ここ20年近くはずっと公募で決めています。
選考方法は学科・専攻によって小異はありますが、うちの専攻では全教員(退職予定者を除く)が書類選考にも面接にも関わります。
それまで私が応募者として経験した公募の面接では、面接者は多くて5~6人でしたが、本学の面接では、会場に行くと10人ほどの人がズラッと並んでいたので面食らったものです。

ところで私が採用されたのは、専攻の退職者ラッシュによる後任補充5ヶ年計画の1年目でした。つまり、その後も4年公募が続くことになります。着任の年から今度は採用する側に回り、4年連続で選考に関わることになったわけです。
ついこの間までは色々な大学に応募し、審査されていたのに、そんな自分がいきなり選ぶ側になっていいのだろうか・・・などと初々しいことを考えていたのは一瞬で、大量の応募書類に目を通し、この先何十年と一緒に働くことになる同僚を選ぶ、きわめて重要な作業であることを認識すると、そんな呑気なことは言っていられなくなります。

書類だけで、その人のすべてがわかるわけないのですが、それでも研究者・教育者としての側面のみならず、ありとあらゆることを知りたいと思いますので、例えば業績としてはカウントしないような雑文とか、経歴としては重視しないような種々の経験とか、そしてもちろん着任後の抱負や研究計画、授業案なども、とても重要な参考資料となります。
なかには、雑文などは業績でないとばかりに、業績一覧に論文(と本)だけしか載せない人もいます。こちらでも調べるので、本当に雑文的なものがないという場合もありますが、あえて割愛している人も時々います。でも、そういうことはしないほうがよいですよ。
もちろん、雑文とか研究会の世話役とかは、研究業績や経歴として一切カウントしないのですが、その人の活動の多様性を見ることができるので、それはそれで重要な情報になります。特に専任歴のない人は、種々の学内業務をこなすスキルの有無を、こういうところからも推測したりします。
ただ、少ない業績をカバーするため枯れ木も山の賑わいとばかりに、雑文を論文欄に書いてはいけません。「その他の業績」あるいは「MISC」として、きっちり論文と分けて書いてください。
それから、書類選考である程度ふるいにかけて残った人については、ネット上の情報は必ず調べます。とんでもない人物が同僚になったら困りますからね。もちろん、ネット上の情報がすべて真実であるとは思いませんし、また、匿名での発言まであげつらうのは気がひけますが、あえて危険を冒してまでマイナス情報のある人を採る理由はありません(それでも採りたいと思える人も、ごく稀にいますが)。

推薦書等、こちらが求めていない書類を同封してくる人がいます。
これについては、別にどうでもいいと思っています。入っていたら一応読みますし、その人のことを知るための情報になるのも確かですが、しかしそれが決め手になることはありませんね。逆に、落とすための理由になってしまうことはあるかもしれません。

ところで、私は「D2病」と呼んでいますが、業績至上主義者というのがけっこういます。
初めて論文の査読にパスし、「これで自分もいっぱしの研究者だ」と思う時期は誰にでもあるでしょうが、そういう考えはD2あたりで卒業しましょう。優れた研究業績さえあれば「研究者」にはなれるかもしれませんが、「大学教員」に求められるのは研究能力だけではありません(もちろん研究能力がないのは論外だとしても)。そんなこと、学部4年で就活していたかつての同期が、学業成績だけで就職が決まったわけではない、ということから簡単に類推できそうなものですが、それができない人がたくさんいます。
まだ専任職に就いていない人のうち、とびきり優秀な研究者を10人思い浮かべてください。みんな、「なんでこんなに優秀なのに、専任になれないんだろう?」という人ばかりでしょう。でも、そのなかに「同僚として30年一緒に働いてもよい」と思える人が何人いますか? 要するに、そういうことです。

あと、「私の苦境をご理解ください」という人。
いや、さすがに応募書類にそんなこと書く人はいないと思いますが、ネット上で、あるいは研究者の集まり等の場で、そういう発言をする人は少なからずいます。
もちろん気持ちはわかりますよ。痛いほど。私もそういう時期がありましたから。
でも、そのことと採用とは、当たり前ですがまったく関係ありません。
確かに、優秀だけど不遇な人が身近にいたら、なんとかしてあげたいと思うし、実際にそういう人に非常勤とか任期付きポストとかを世話してあげるという話もよく聞きます。
ポストがなくて苦労している優秀な研究者は山ほどいるし、一人ひとりに色々な事情があるでしょう。みなさん大変な思いをしているし、同情せずにはいられません。
しかし、「同僚として30年一緒に働く人」を選ぶときに、そんな個人的な事情を配慮すると思いますか? 大学は、その大学にとって必要な人材を求めているわけで、ある不遇な研究者のために人事をしているわけではありません。普通に考えれば、わかりそうなものです。
でも、長く苦労していると、本当にそういうことが考えられなくなり、「自分はこんなに苦労している。きっと事情を理解してくれる大学があるはずだ」という思いに支配されてしまうのです。「きっと神様は見てくれているはず」というスピリチュアル系の発想に近いともいえますが、案外、そういう考えに囚われてしまう人は多いと思います。私もそうだったかもしれません。
でもね、その考えを対象化できないと、そういう意識が知らず知らずのうちに、書類や面接で出てしまいます。「私を採用してください」ではなく、「私はこの大学で、こういうことができますよ」でなければ、採りたいとは思いません。

そんなこんなで、色々な人の書類を見、色々な人と面接で話しました。本当に真剣勝負です。
多くの候補者のなかから一人を選び、あとはすべて不採用とするのですから、やり直しはできません。「こんな人と一緒に働きたくない」という人を見きわめられずに採ってしまったら、もうおしまいです。ずっとイヤな思いをしながら働かなくてはなりませんからね。
なので、安易に結論を出さず、適任者なしとして公募を流したこともあります。

このように、全教員で本当に真剣に選考しているわけですが、ある年の公募に際し、ある筋から「あの公募は誰々を採るためのデキだ」という根も葉もない噂が聞こえてきました。非常に腹が立ちます。
私が把握したのは、出所の異なる2種類の噂でしたが、ひとつは私の母校の教員(『20世紀少年』に出てくる2人のマフィア、王暁鋒とチャイポンを足して2で割ったようなおっさん)が発信源だというので、呆れて言葉を失いました。
なんでうちの大学と縁もゆかりもないそのおっさんが、したり顔して「あの公募はデキだ」などといい加減なことを言えるのか理解に苦しみますが、その戯言を信じる人までいるというのですから、アホばかりで呆れますね。
もっともあの大学のあの学部は、ちょっと前まで教員はみなコネ採用だったし、今は公募にしたとはいえ、ほとんど出身者ばかりを採用しているので、そういう発想になるのもやむを得ないのかもしれません。
いや、コネだろうと一本釣りだろうと、優秀かつ有用な人材を採れればいいと思うので、あの大学の採用方式にケチをつける気はありませんが、自分の大学がそうだからといって、よそも同じに違いないと考えるのは、頭のおかしい人です。法人の顧問弁護士に頼み、名誉毀損で訴えてもよかったんじゃないかな。

・・・とまあ、くだらぬ噂はあったものの、着任してからの4年間、真剣に人事選考に携わり、「健全な人事をする、風通しのよい職場に来たものだ」と満足していました。
ところが、4年目の選考が終わった頃、それまで私が信じていた本学のイメージを根底から覆すような事件が起こりました。

続く

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