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2017年12月

2017年12月31日 (日)

ブラック企業大賞

ブラック企業大賞、今年はアリさんマークの引越社でしたね。
過労死ラインを遥かに超過した労働時間や、業務上の損害を社員に弁償させる制度(通称「アリ地獄」)等、労基法を無視した社員の酷使っぷりは有名ですが、それだけでなく、組合員への報復的弾圧という、あまりにも無知で幼稚な行為が不当労働行為と認定されているわけですから、まあ、妥当な結果でしょう。
使用者側の人間が労働者個人に対し、組合員としての行動を非難したり抑圧したりするのは典型的な不当労働行為なので、まともな企業であれば管理職の人間にそのあたりの教育はしっかりやっているはずです。団体交渉以外の場で、管理職が個人に対し組合絡みの話題を振るなんて、労組法を理解していれば普通は怖くてできないはずです。

しかし、アリさんに限らず、あるいは歴代の受賞企業、ノミネート企業に限らず、多くの企業で似たようなことがなされているであろうことは容易に推測できます。
ここにノミネートされた企業だけがきわめて悪質ということでなく、やはり報道されて有名になったということが大きいでしょうね。
大企業でも、使用者側が労基法や労組法に無知であるということがよくあるのですから、中小企業ではなおさらでしょう。これは労働者側についても言えることで、自分が違法な労働を強いられていることを自覚していないというケースも多いと思われます。
また、たかの友梨ビューティクリニックの社長が組合員に圧力をかける際に言ったという「労基法どおりにやったら、うち潰れるよ。いいのそれでも?」という言い回しは、おそらく多くの経営者にとっての常套句でしょう。呆れることに、かつて本学でも幹部クラスの人間が似たようなことを公の場で口走りました。本音としてはそうなのかもしれませんが、使用者側の人間が絶対に言ってはいけないこの言葉を労働者に向けて発するというのは、あまりにも無責任でしょう。
エイベックスの社長がブログで、「好きで仕事をしているんだから、それを抑えようとする労基法は時代に合わない」などと放言したというのも呆れた話ですが、それ、労働者側が言うならまだしも、使用者側が言ったらおしまいですよ。社長としての自覚ゼロですね。

高野や松浦が無知で無責任であることは間違いないのですが、しかし、こういう認識を持つ人は、使用者側だけでなく、労働者側にも多いでしょうね。
要するに、勤勉を美徳と考える思想です。
何を隠そう私もそう考えていました。というか、いまだにその思想を完全に払拭することができずにいます。

例えば教員だと、「生徒(学生)のため」という魔法の言葉で、無限の労力を費やすことを強いられ、あるいは自ら進んでそういうことをする人が少なくありません。それが“よい先生”であるというイメージが作られてきて、そのイメージを求めて教員になったという人もいるでしょう。その種の熱血教師像は、個人の経験や見聞、あるいはそれを理想化するような種々の言説やストーリーにより、広く社会に浸透しており、教員とはかくあるべしという共同幻想が教員を縛ります。教員は、生徒(学生)のため滅私奉公で働くのが当たり前という認識を、周囲だけでなく教員自身も持っているため、この呪縛から抜け出すのは容易なことではありません。
例えば、中高の部活の顧問。こんな、どう考えても明白な労基法違反の業務が、これまでずっと問題にならず、当然のこととして黙認されてきたことからも、この呪縛の強さがうかがえるでしょう。
確かに私だって、かつて『スクール・ウォーズ』を観て涙した人間です。しかし、あれを労働という観点から考えたら、とんでもないことですよ。教員としての通常業務(こちらはほとんど描かれていませんでしたが)に加え、部活の指導に自分の生活のすべてをつぎ込むわけですからね。無報酬で。
あれを観て感動するのは自由ですし、滝沢賢治が残業代を請求する姿は私もあまり見たくありませんが、だからといって、教師たる者、あそこまでやるのが当然だと保護者が思い込んだら大変です。ものすごい要求をしてくるのではないかと恐れます。
ところが現実はさらに過酷で、保護者どころか、教員自身もこういう熱血教師像をどこかで理想視していたりするので、部活の顧問をしろと言われても、「この業務は任意ですよね?」とか「正当な残業代は支給されるのでしょうか?」とかいう、労働者として当たり前の要求すらしようとしません。また、疑問に思ったとしても、簡単には言い出せないでしょう。
一昨年、この理不尽な業務を疑問に思っていた教員たちがついに声を上げ、部活問題対策プロジェクトが立ち上がりました。しかし、いまだに偏見が多く、教員以外の立場から無責任に「教師が部活の顧問を拒否するなんて、とんでもない」とかいう意見もあり、また、現場でも多くの教員に顧問をさせなければ立ちゆかない状況なので、改善されるまでにはまだまだ時間はかかるでしょう。それでも、問題が可視化されただけでも進歩です。

部活に限らず、教員は生徒のすべてに責任を持ち、そのためには全人格労働も厭わないという考え方。中高の教員とは本来まったく異なる業種である大学教員にも、この種の理想の教師像が求められ、教員自身もそう思っている節があります。
確かに、卒論その他、学生指導は時間決めでは対応できない部分があります。そこを「時間外労働はしません」とスッパリ切ることは、あまり現実的ではありません(そういう人もいますけどね)。
また、研究については、どれだけ多くの時間を投入しても「これでよい」という限度はありません。
ただ、その延長線上で、教育・研究以外の業務でも全人格労働が当たり前という感覚になってしまうと厄介です。多くの大学は裁量労働制なので(うちは就業規則上は違いますが、事実上は)、それを悪用して教員に無限の雑務を押しつけるところも少なくないでしょう。教員側も、それを疑問に思うどころか、やるのが当たり前と思い込んでいたりすると、大学側にしてみれば、そういう自ら進んで奴隷になってくれる人たちの存在はありがたいことでしょう。そのうえ、「これは教員の仕事じゃないのでは?」という声を上げる人がいたとしても、同調圧力で自動的に抑えこんでくれるのですからね。
確かに、雑務と呼ばれるような仕事でも、自分の大学のためと考え、あるいは職人的なこだわりで、時間や労力を度外視してでもやるという人はいるでしょう。立派なことです。
しかし、それを誰かに強要することはできません。違法行為です。

どんな業種であれ、働いたら働いた分だけ成果が上がり、それが組織のため、顧客のため、社会のためになったりする、という面はあるかもしれません。そして、それにかける情熱は尊いものです。
しかし、それはあくまで適法の範囲内でなければいけないわけですよ。
頑張ることを美徳と見るのはいいでしょう。自ら進んで無償労働を引き受ける姿は、なぜか我々の目に美しく映ってしまいます。
でも、無償労働を強要した時点で、違法ですよ。こんな当たり前のことがなかなか受け入れられないのは、世界的にも労働時間が長い(わりには生産性が低い)日本人の精神風土にもかかわるのでしょう。

ブラック企業は、なにも特別な組織ではありません。
勤勉をよしとし、成果よりも努力を評価するという思想を我々が持っている限り、多くの組織がそうなる可能性を孕んでいます。
頑張る自分に酔うことはけっこうですが、それを他人に求めた時点で迷惑だということを自覚し、自己満足にとどめておくのがよいでしょう。難しいとは思いますが、まずはこれを打破してゆくことが重要だと思われます。

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2017年12月18日 (月)

合同例会でのできごと

最近は研究のことをほとんど書かず、ずいぶんこのブログも方向性が変わってきましたが、一応匿名でやっていますので、固有名を挙げたうえでの研究ネタは書きにくいんですよね。
そういうのを書くのであれば、これからは白ブログのほうと棲み分ける、というのも一案です。

とはいいつつも、やはり固有名を挙げずに書きたい研究ネタもありますので、こちらはこちらでやっていきたいと思います。

さて、先日、某複数学会の合同例会がありました。
こういう形での合同企画は初の試みで、テーマも興味深いものではありましたが、しかし、まさかあれほどの盛況は予想できませんでした。
シンポのパネリストの報告、ひとつひとつは非常にマニアックなもので、十分に理解できていた人は少なかったと思います。しかし、全体のテーマは研究者の関心をそれなりに引きつけるものであり、議論が尽くされたとはいいがたいものの、当該テーマにかかわる沃野の存在は改めて認識されたのではないかと思います(それゆえ敬遠してしまうという人も含め)。

個別の報告や討議について、いろいろ思うところはありますが、詳細を書くのは控えます。
ここでは、質問をしたある院生が印象に残ったので、そのことを少し。

修士の頃からメジャー誌に優れた論文を発表していたので、私も去年くらいから注目していました。現在は博士に在籍し、学振にも採択されています。
その彼が質問に立ち、そのなかで非常に大きな展望を披瀝しました。あれだけ大入りの学会で、院生が質問をするだけでもたいしたものですが、単なる質問にとどまらず、大言壮語・・・といったら失礼ですが、非常に迫力のある発言だったと思います。
また、一見チャラチャラした外見でありながら(失礼)、あのような質の高い研究をし、骨太の質問ができるというのも、いい感じです。

なんとなく、自分の若い頃を思い出しました。
いや、院生時代の私なんか、彼の足下にも及びませんよ。
でも、私は私で未熟なりに、色々なところで空気を読まずに色々な主張をしていたものです。
そんな自分が果たし得なかったことを、私よりも圧倒的な能力と度胸でやってのける若者が現れたと、そんな印象です。

そんなことを思っていたら、懇親会の時、ある人から、「彼は、昔の f さんに似てますね」と言われ、同意する人も何人かいました。
んー、やはりキャラというか、方向性はそういうふうに見えるのでしょうかね。
しかし、上記の通り、私なんかよりもよほど優秀なので、似ているかどうかということとは無関係に、注目すべき人物であるといえるでしょう。
今後の活躍が楽しみです。

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2017年12月15日 (金)

管理職

10月から専攻主任になりました。
専攻内で順番(教授になった順)に回ってくるので、避けられない業務です。

なお、かつては組合員が管理職になった場合、団体交渉に出られませんでした。
しかし、管理職といっても、「使用者の利益を代表する者」でなければ組合員の資格を持つわけで、団交への出席拒否は不当労働行為に当たります。それを労働委員会に救済申し立てをし、和解した結果、出られるようになりました。よって、主任になってからも今までどおり、団交には出ています。

ところで、本学では、他学部は学科長の下に主任を置いていますが、うちの学部は学科長を置かず、主任が両方の仕事をしています。
ということは、学科長と主任、両方の役職手当てが支給されるはずです。複数の役職を兼務する場合、単純にそれぞれが加算されるのではなく、計算式があるのですが、ともあれ兼務している分の役職手当てが支払われるのが当然です。
ところが、明細を見てみたら、主任の手当てしか支給されていないんですよね。
確かに、名称としては「主任」なので、他学部の主任と手当てを同額に設定しているほうが妥当なのかもしれません。学部によって主任の業務内容にある程度の差異はあるでしょうから、主任は主任で一律同額の手当を支給する、という理屈なのでしょう。
しかし、法人は種々の局面で、公式見解として「○○学部の主任は、他学部の学科長に相当する」と説明しています。とすれば、学科長+主任でなくとも、少なくとも学科長手当てを支給するべきではないでしょうか。
こういうことを言うと「がめついヤツだ」と思われるかもしれませんが、そういうことではなく、自分の労働への正当な対価が支払われるのは当然のことです。
多くの教員は、法人を信じきっているのか、育ちがよいのか、それとも完全服従のイエスマンなのか知りませんが、こういうことを気にしないんですよね。不思議でなりません。
しかし、学科長と主任の手当ての額は、無視できないくらいの差があります。同じ仕事をして、これだけの差があるというのは尋常ではありません。まあ、気にしないという人は放っておいて、組合員だけでも正当な手当てを支給するよう要求してみましょう。

ただ、法人は組合員と非組合員とで待遇に差を付けることを嫌がるんですよね。そういうことをすれば、組合員が増えるのが目に見えているから。
しかし、例えばボーナスや入試手当て等、労働協約により決定する部分は、差が付いて当たり前なんです。そこで差を付けないのは、法人が組合を利することのないよう、かなり無理をしているわけです。
とはいえ、すべてについてそんなことはできませんから、当然、組合員のみが有利になることは多々あります。法的措置を経て組合員だけに支払うことになった某手当てについては、「非組合員に口外しないこと」という条件を付けて支払いを認めました。そこまでするか、と思いましたが、少数組合が徐々に力を付けてきていることへの危惧だと受け止めています。
上記の役職手当ても含め、今後、組合員だけでも正当な対価を得られる環境を拡大していきたいと思います。

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